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最近のわたしは、能動的に動く時間よりも、無為にやり過ごす時間のほうが長い。それに気がついて、わたしの生き方は適当すぎる、と危機感を持った。わたしが「私」という漢字をあまり使わなくなったのは、「私」には「わたくし」という読み方もある、というソース不明の書き込みをある時に見たから、でもある。嘘かもしれない。二年くらい前からやっていたWordleのデータが仕様変更のためか先日すべて飛び、悲しかった。五、六百回はやっていたと思うのだが。AはBより進んでいる、などと言ったとき、単に両者の進行状況を比較している時と、BよりもAのほうが成熟していて高レベルだ、ということを示す時があり、「進んでいる」という言い回しは微妙に使いづらいと感じる。高校にいた、生徒と同じ時間の電車に乗って通勤している地学の教員は、密かに慕われていた。ニコニコ動画の、動画前に挟まる「いきなり!動画紹介」という広告で紹介される素人の動画を観たときにだけ感じられる、安らぎみたいなものがある。YouTubeの動画を観始めるや否やコメント欄に目に通すという行為は、人間っぽい。インスタグラムのコメントは何週間前のものかが表示されるようになっているため、2011年4月21日は675週間前なんだ、みたいな感慨に耽ることがしやすい。睡眠をとっていたら夢の中で転んだり落下しそうになったりしてヒヤッと目が覚める、というのは偶にあることだが、きょうはそれの、後ろにこけそうになるバージョンにあたって、レアだった。緊張する日は、あえて寝不足の状態を作って、緊張を脳がフルに受け取らないようにすることがある。満員電車で前に立っていた大男が周りを見ていなくて、心底、腹が立った。点字ブロックの上に立っていたら怒られた。ごめんね。 'Google Cloud'と書かれた傘をさしている人がいた。桜のきれいに咲いている場所にひとり佇んでいたら、知らない人に写真を撮るようお願いされる、というイベントに巻き込まれた。一人でこれに出くわすのは初めてだ。「3、2、1、」という言葉とともに写真撮影をしたのだが、やはり「はい、チーズ!」のほうが人間味にあふれているフレーズだとは思う。好きな歌詞を発表するとき、その歌詞の部分のメロディーを無視しようとあえて平板に読んで、かえってそれが不自然になる、みたいなのと同じで、カウントダウン方式はなんだか味気ない感じがする。写真を撮り終えて別れたあと、わたしのスマホでも一緒に写真を撮っておけばよかった、などという気持ちが浮上しかけるも、やはりやらなくてよかった。人に和式のトイレを譲られて、意外だった。回転寿司屋のテーブルに備え付けてある機械は水ではなく熱湯ばかり出すので、不満だ。寿司と冷たい飲み物を合わせたい。きょう行った回転寿司屋では、隣の客が老いた男と若い女の二人で、寿司を食べながらずっと気にかけていた。今日は雨が降っていて最悪だった。自宅までが遠い日だった。もともと、昨晩まじめに睡眠を取らず、二時間ほどしか寝ていないというのが今日の不調の大きな部分に関わっている。17時から22時ぐらいの感じで寝た。