/知らなかった言葉のリスト/

知らなかった日本語をリストアップする。

 

知った日/知った言葉

・20240422/厖大/「厖」、ささくれている感じがして怖い。

・20240413/象牙の塔/リッチで高尚な感じは伝わる。

・20240407/泣いて馬謖を斬る三国志にやけに詳しい人って、なぜ詳しいんだ。

・20240405/舌の根の乾かぬうちに/このフレーズを初めて使った人は、よほど会話相手を選ぶのが上手かったのかもしれない。

・20240402/孤独癖/「傾向」のニュアンスで使われる「癖」に馴染みがない。

・20240401/荒通し/大雑把であることを「荒い」という言葉に集約させる感覚はかなり業界人っぽい。

・20240323/痛痒/「つうよう」と口で言われて、これのことだったらどうしよう。

・20240320/厳命/この言葉は威圧だ。

・20240318/芋を洗う/いくらなんでも、「芋」はないだろう。

・20240316/身許/「身元」を使いたがらない、頑固な人がいる。

・20240315/青息吐息/「青色吐息」と間違えてしまいそうになるのは、「息」を表す言葉が二つ連なることに違和感があるからだ。

・20240315/捨て鉢/「捨」という漢字には投げやりなイメージが伴うことがある。

・20240315/幕営/幕=テントと捉える。

・20240315/草付/草に「付」という漢字を使う感覚に共感できない。

・20240312/消長/「盛衰」などと違い、消↔︎長のイメージが無い。

・20240311/嗜癖/「嗜好」を重くした感じか。

・20240310/俎上/「俎上に載せる」などと言われると無骨な感じがする。

・20240309/浅薄/分かるけど読めないし使わない、という点ではいちばん生のコミュニケーションから離れているタイプの言葉かもしれない。

・20240308/瞠目/「瞠」は象形文字なのかな。

・20240306/嬌声/「矯」ではないことを気づける人生になった。

・20240306/タカピー/こういうのこそ、ちょうど死にゆく表現なのかもしれない。

・20240302/しじま/文学的だ。

・20240227/訥弁/「弁」のコアイメージがまったく取れない。

・20240226/十把ひとからげ/京都で出される料理っぽい。

・20240217/五葷/健康などではなく、思想的な理由でこういう概念があるのだとしたら面白い。

・20240211/舌禍/舌そのものが責任を負っている感じが物々しい。

・20240210/小職/この言葉を使いたい!いまなら使える!と思える日はわたしに来るのかなあ。

・20240204/埒外/一瞬、めちゃめちゃな差別用語だと勘違いする。

・20240123/杜絶/これまでの人生、「杜」が何を意味するのか知らない人生だった。

・20240123/孫引き/なんか禍々しいなあ。

・20240122/歯の浮くような/たしかに、歯の据わりが悪くてむず痒い、みたいな感覚は不快だ。

・20240119/爪に火をともす/かわいそうだと思う。

・20240119/元の木阿弥/「まさしく、誰もが知っている故事成語の一つ。」と説明しているサイトがあって、面目なくなった。

・20240106/ロートル/この言葉のウィキペディア記事を見ていたら、関連記事に「高齢者虐待」があった。

・20240106/無軌道/三字熟語って珍しいね。

・20240102/新玉の(年)/枕詞らしい。格式高い新年のお祝いを書く人がいる。

・20231205/喝破/老人が使っていたら圧が出て怖い言葉だ。

・20231204/扶持/「食いぶち」ってこれらしい。「助ける」イメージか。

・20231204/立哨/「哨」という漢字のコアイメージをつかむ。

・20231123/鼻白む/目だけじゃなかった。

・20231122/日がな/誤字っぽい。

・20231121/禍根/ラジオで人が言っていて知った。ラジオでこれ言われたらビビっちゃう。

・20231119/かんらかんら/面白い。

・20231017/喫緊/「緊」は、独立している状態だと読み方がわからなくなる。

・20231011/地目/システムってこんなところまで食い込んでいるんだ。

・20230924/迂遠/わかるけど知らない。

・20230921/なまくら刀/ナースのお仕事、アグレッシブ。

・20230918/たちどころに/古っぽい副詞。

・20230918/人海戦術/漢字ばかりなのに、文字面から意味が想像できない。

・20230907/ケレン味/日本語っぽくなくて、ほんとうは日本語。評論家的なことばだ。

・20230826/裏校/おもしろい。そういう学校のサイトのメタファーなのかと思った。

・20230824/好々爺/妖怪の名前すぎる響きだ。

・20230823/ロハ/ノマ(々)みたいなことか。何となく、やーな感じがする。

・20230823/赤文字系/知らなかった概念をまとめている。知らなすぎる。

・20230819/ペグシル/ああいう使い捨ての概念が好きだ。限定的すぎて、咄嗟に出ないタイプの言葉だと思う。

・20230815/まるけ/方言の類まで入れるとキリがない気もするが。「まるごと」のようなイメージがあるのかもしれない。

・20230811/法面/のりめん。人がつくった斜面。「法」の字がしっくりこない。

・20230811/鯨飲/「牛飲」も同じ意味なんですね。ウケる。

・20230810/一両日/意外と短い。二つで一つ、という概念の両方を指すのが「両」。たしかに「両方」って使う。

・20230810/什器/知らない概念だ。

・20230806/賃餅/餅つき業。また、その餅。現代ではあまりない感覚で、こういうところから言葉の新陳代謝は為されるのだな。

・20230805/がっぷり四つ/「四つ」を「よつ」と読むのはすごい。相撲用語らしく、正直「四つ」のイメージが掴めない。

盲牌

ハーシュノイズのCDがとにかく欲しいのだが、どれも数が少ない、そして高い。ハーシュノイズ人口の少なさがハーシュノイズの敷居を高めている。猫がわたしの太ももに乗っかってきたのだが、おしりが何故か濡れていて、うわっ、と声を出しつつ、やんわりと猫を遠ざけた。毛づくろいの際の唾なのか何なのか分からず、わたしは今夜、詳細不明の猫の体液を衣服に付着させたまま寝る。ビートルズの"Something"と赤い公園の"ジャンキー"と椛田早紀の"LONELY ROLLING STAR"を連続で聴いて、自分の中のなにか良いものが回復する心地がした。自宅に侵入しようとする不審者を追い返すという夢をみた。その人は策士で、わたしが家を空けていた間に部屋のカーテンに細工をして、家の中が見えるように外からでもカーテンを開閉できるような仕組みを作っていた。今日は休んだ。目が覚めた瞬間からパスタが食べたかったので、食べた。パスタを茹でたら、麺の一部が焦げて、珍しかった。TVerを観ていたら、いちドラマのダイジェスト、それも五分近いしっかりとしたやつが広告として出てきて、すごかった。中学生のころ所属していた部活に、ちょっとした残酷なことや下品なことでもかなり苦手そうに反応する人がいて、こういう人もいるんだなあ、とわたしの意識が一段階ひろがったことを思い出した。ニュース番組を観ていたら、グルメ特集みたいな枠で、一緒に店に来ていた人のご飯に自分の箸を突っ込んで何が器に入っているのか確かめる、インモラルな人が取材を受けていた。冷蔵庫に入っていたヨーグルト2パックの賞味期限がどちらも今日までだったので、しかもそれに23時半くらいに気がついたので、いま両方とも食べている。

死んでゆく

高校生のころ、学校単位で劇団四季の舞台を観に行くという全員参加のイベントみたいなのがあって、終演後に周囲がスタンディングオベーションみたいなノリになってみんな立って拍手をしていたのだが、わたしはどうしてもそのノリに乗れず、けっきょく最後まで立たなかったことを覚えている。そのとき、隣の席にいた同じクラスの人に、少しだけ顔を覗き込まれたことも覚えている。したいしたくないとかに関係なく、何かができなくなる時がある。可能性の話ではなく、心の何かが行動を邪魔するという話だ。人に助けられている。集合場所ごと間違えるみたいな、大きめの単位での勘違いが多くて、ある意味、過度なおっちょこちょいという烙印を押されやすい。そしてそれは、ちょっとしたミスを重ねるやつ、といった印象よりも楽に背負える称号だ。でもわたしはわたしで、そういった勘違いを軽減したりなくしたりする努力をしなければならない。体重計みたいなやつで体年齢みたいなやつを調べたら実年齢よりも十五才ぶんくらい上の数値が出た。今日は血迷って、50m先のコンビニに行かず700m先のコンビニに行って、なんでこっちに来たのだろう、と思ったのだが、「今日まで唐揚げが安い」などと客に馴れ馴れしく言っている、ただのセブンイレブンをさも自分の経営する店のように捉えているような接客をしている店員の人がいて、来る価値があった。Stereolab『Dots and Loops』は出るべくして出た名盤だなあ、と思う。久々に聴いて、もう本当に圧倒的だった。ポストロックの潮流と、ノイズ〜サイケ〜シューゲイザーの潮流があって、それらに近接する位置にStereolabがいて、ジョン・マッケンタイアがいて、それらが融合し爆発を起こした。 わたしは哲学を学ぶということに不向きなのかもしれない。ハーシュノイズを小さい音量で聴いていると何か情けないような気持ちがせり上がってくる。音楽は努力だ。今のわたしはどうしようもなく情けなくて、気力がなくて、でもこうして文章で表現することができるが、やっぱり音楽なんかはできる気がしない。音楽表現をできるようになるための努力ができない人がいる。そのくらい破れた人がきっとどこかにいる。なんでこんな知らない人たちにぺこぺこしなければならないんだ、といった自分の思考の側面は無視ができない。驚くべきことに、社会に出て色々な人と関わっている時よりも、ずっと長く一人でいる時のほうが幸せだ。何かについて人に喋っていて熱を帯びたとき、「(そんなにその話題で喋れるなら)本でも書けば?」といったことを冗談めいた調子で言われると、その瞬間、その人と取り合う気がなくなる。自分の幸せを大事にしなくてはならない。正直、今はつまらない。きょうは珍しく、早歩きで帰ったのだった。早歩きでもしないと仕方がない。音楽には表情がない。それが良い。音楽、あるいは音楽をやっている最中のパフォーマーは、自分のやること、やりたいことにだけ淡々と目を向けている感じがする。こちら側の私事への干渉がない。そして情けない。帰りの電車の中では人と距離をとる。礼儀は正しくしないといけない。六厘舎という名前の店があったらうまいだろうなあ。「駅」を考案した人は、それに見合った収入をおそらく得られていなくて、しかも今に至るまで自分の発明品への批判をたくさん受けてきているはずなので、かわいそう。

なんか、すごい。今はけっこう気分が良い。昼間は下がりきっていたが。あしたのスケジュールを少し妥協して、緩めよう、と心に決めてから、心に余裕が生まれてきた。

明るい

午後の三時とかに起きると、やっぱりその日は寝れないね。起きるために設定しておいた大量のアラームを一斉にオフにしているとき、夢の始末をしているなあ、と思う。テレビを観ているとき、ああこのCMは過度な無音や反対に大きな音を使って視聴者を惹きつけようとしているな、と思ったとき、抵抗して、視線を画面に動かさないことがある。朝七時の時点で、きょうは服装に失敗したなあ、と思った。朝、寒いという理由で裏起毛を着たのが間違いだった。駅のホームで電車を待っていたら、知らない老人に、前に詰めることを促すようなジェスチャーとともに何かを言われて(イヤホンをしていたので聞き取れず)、不気味だったので違う列に移動した。確かにわたしは電車を待つ列にいて、ぎちぎちに詰めることなく並んでいたが、とくに混雑しすぎるホームでもなかったし、何より赤の他人に自分のルールを押し付けてくる無配慮さと馴れ馴れしさには眩暈がする。わたしよりも長く生きているはずなのに情けないなあ。そのあと電車に乗り込んだら、暑いと言っているのにやんわりと暖房がついていて、朝と春と人と電車への嫌悪が一斉に訪れた。¥861に対して¥1011を払って¥150のお釣りをもらう、みたいなテクニカルな会計をした。最近は、Masonnaを聴いて精神の均衡を図っている。図書館で『パンク・ロック/ハードコア史』という本を断片的に読んだ。かなり散文的であるという点では好みではないが、クラスト・パンクやアナーコ・パンクといった、定義的に曖昧なジャンルを概観してみるのには良かったと思う。

f:id:themores:20240415124921j:imageエマーソン・レイク・アンド・パーマーみたいでかっこいい。Crassを聴きながら、一時間くらい、目的地もなく歩いた。目的地のない散歩をしているとき、折り返す瞬間をいつにすべきか、ずっと逡巡している。道を歩いていて、急に、何かを思い出したように来た道を戻るというのは有機的ではないので、わたしの場合は往路と復路が重ならないようなルート、すなわち行きと帰りで異なるルートを通ることが多い。地図アプリの示すままに歩いていたら、近隣の住民しか利用していなさそうな細くて急な階段が出てきて、テンションが上がった。この散歩にCrassは少し違うな、と思ってsoraの『re.sort』をかけたら、これこそが今日みたいな日の散歩にぴったりの作品だった。公衆トイレに入ったら、「一定の時間以上の滞在でブザーが鳴ります」みたいな注意書きがしてあって、落ち着かなかった。きょうはスマートフォンの充電がぎりぎりで、帰宅まで三時間ほどあるという時点で20%ほどのバッテリー残量だったのだが、耐えた。充電がないと必然的にスマホを取り出す回数が減り、逆説的だが、スマホから離れることができて快適でもあった。座っていたら、ストローの入るビニールの袋が風にあおられて足元まで転がってきたので、足で踏んで止めて、そのあと捨てた。契約のミスに気づいて、絶望している。金銭が絡んでいる。わたしには衝動的に物事をやってしまうときがある。衝動性というよりかは、ただ長期的な視点で物事を考えることが不得意で、それに対する忌避感を抱えているのかもしれない。どうにも行かなくなってきたので、Chapterhouseの『Whirlpool』を聴いて、何かを整えている。

Treasure ひさびさに聴いたが、圧倒的だ。やっぱり、いちばん元気に過ごせるのは日曜日だ。社会がわたしの生活に干渉する。リュックの中身をぜんぶ取り出したら、身に覚えのない、セブンイレブンの薄いウェットティッシュが出てきた。

f:id:themores:20240415224533j:image人の関心は、契約と外傷にある。陽を浴びた体が火照って、棒状の保冷剤みたいなやつで、体とスマホを交互に冷やす。デンタルフロスみたいなやつを久々にやる。一生スタックしたままなんじゃないか、というくらい隙間に沈み込む瞬間があって、その時はひんやりとするが、やはり自分の歯の間に糸を入れてカチャカチャやるのは楽しい。宴が終わってだいぶ経ったあと、洗面台に置かれたグラスの中にぎりぎり形をとどめた氷が入っている、という状況の存在に気がついた。どうにかしてこれを上手く俳句なり川柳なりに詠み込めないものか。

かりそめ

10時過ぎに目が覚めて、寝て、12時に起きて、寝て、けっきょく15時に起きた。病的だ。窓の外から音がする、と思って外を見たら、イージーリスニングみたいな音楽をバックに防犯情報みたいなのを流している車が青いランプを光らせながら走っていて、クールだった。CoachellaのYouTube配信で、Blurを観た。無駄のないセットリストだ。"Tender"に参加するコーラス隊が "Death of a Party"にも参加している、という謎もあって、分かりやすくしすぎていない感じがBlurだった。ステージだと、やはりグレアムがかっこいい。日記を付けるのと付けないのでは、付けないほうがロマンチックな感じはする。爪の伸びる周期がずれると切る回数が増えてしまうため、なるべく、爪は手足同時に切るようにしている。さっきから、耳の中に髪の毛が入ったような感覚がある。この週末は良かった。すがすがしい。

美しい

The Perfect Disaster『Up』を聴いて、Yo La Tengoの『May I Sing with Me』を思い出した。そして、前者のほうが三年ほど早く、アコースティック・ギターノイズ・ジャム・ロックみたいなスタイルをやっている。時期を無視するにしても、後者の評価のされ方を見ると、いまだ無名に思える前者はなんとなく不憫だ。久々にThe Charlottesを聴いたらこれがかなり良い。色々と無名なシューゲイザーバンドを掘り下げてからこのバンドに帰ってくると、このバンドの、キャッチーなメロディーと苛烈なノイズのバランス感が素晴らしかったことに気づく。学校や社会といった組織というものは嫌なものだが、怠けがちな人間を社会に引き出すという点では偉大で、嫌さと正しさのバランスが絶妙だと思う。「手弁当」と聞くと、わたしは手のひらに小さい弁当箱が乗っている様子が思い浮かぶのだが、自前の弁当を外出先に携行するから「手弁当」なんだ、と気づいた。夕方、The Bardots『Sad Anne』のCDを流しつつ、少し寝た。とくだん好きなバンドというわけでもないのだが、そういうポジションのインディロックがいちばん心地よい時がある。ケーズデンキに行って、ゆで太郎であえて豚バラ葱中華そばを食べて、駅に行って、ミスターマックスに行った。外出するときに目的地がたくさんあると楽しい。ゆで太郎の真髄は、やはり冷たい蕎麦なのかもしれない、と思った。駅には定期券更新のために行ったのだが、なんとなく走りたい気分になって走って窓口まで向かったので、めちゃめちゃぜえぜえの人が来た、と駅の人をびびらせてしまったように思う。売っていたキャンパスノートに「東大生の85%以上が使っていた」みたいな文言の記された紙がくっついていたのだが、ノート業界じたいほぼキャンパスノートの独占状態だろ、と真っ当なことを思った。

首尾

リビングルームでGasの『Königsforst』を流して、気持ちよかった。はやく起きたのに、二度寝してしまい、最悪だった。ノイズを聴けるときは疲れているときだ。ノイズを受け付けないときは、健康で元気。丸亀製麺に行こうとしたら、馬鹿みたいに長い列ができていて、断念した。並んでいる人の一人に「(店舗を指さしながら)これに並んでます?」などと聞いて、その人はうん、と頷いてくれたのだが、その時の自分の去り方がすこし雑だったというか、もっと丁寧にお礼を言うべきだったかな、などと後で考えたりした。さりげなく探していた1980年代後半のドリームポップ関連作品、Heavenly Bodies『Celestial』とThe Perfect Disaster『Up』のオリジナル盤CDが双方ともに手に入って最高だった。どちらも綺麗だし、オリジナル・シューゲイザー蒐集家として大きな前進だ。そのくらいレア。最近は消費活動自体がおざなりになっていて、お金を出すだけ出して楽しくない、みたいな消費を重ねてしまっているように思う。どうにか、「欲しいものだけを買ってそれに喜ぶ」といったモデルケースに回帰する方法はないだろうか。English Teacher『This Could Be Texas』を聴く。もっとメロディアスかつリズミックな部分が前に出たほうが好きかもしれない、とか思ったりする。途中、Slintみたいな曲があった。2022年のファーストEP『Polyawkward』の頃よりもマスロックっぽい複雑さとチャンバー・ポップっぽい繊細さが増した印象で、スポークン・ワード中心のバンドであることも手伝ってか、曲によってはSlintっぽくなったり、Black Country, New Roadっぽくなったりする。トイレの個室に入って便座が閉まっている場合、困る。閉めるな。開けるのに触らないといけなくなるから。閉めるな。なんとなく、自分が用を足し終わったあとも便座を閉める流れができるから。なきのう行ったディスクユニオンで流れていた、Holger Hiller『Ein Bündel Fäulnis in der Grube』を聴きながら、明るい気持ちで帰宅した。街を歩いていたら、向かいから歩いてきた通行人が「向こうからめっちゃ人来る〜」みたいなことをその友人に言っていて、その人の世界の中ではわたしは景色の一部として存在しているのだな、と再認識した。すこし安心の気持ちがあった。信号待ちをしていたら、ケーズデンキの広い広い駐車場で「ありがとうございました」などと言いながら車を見送っている人が見えて、それもケーズデンキの入口から遠い、周りに誰もいない所での出来事だったので、この「ありがとう」は「麻薬を売ってくれてありがとう」の「ありがとう」である可能性も捨て切れないなあ、と思った。めちゃめちゃ仕事ができる人って、人類がその活動を維持するためにいつの間にか必要視されるようになった労働という不思議な営みをするために体が最適化してしまっているということだから、すごい。Masstransferという、1990年代の終わりくらいにアメリカで創刊されたらしい雑誌(あるいはファンジン)を読んでいたのだが、最高だった。Windy & CarlやFüxaなどの、あの時代のノイズ/シューゲイザー/スペース・ロック/ドリーム・ポップ/アンビエント(・ポップ)系のバンドについての記載ばかりで、このような限定的な書物を手に取る意味を感じた。LenolaやThe Electrosonicsなどのオブスキュア・シューゲイザー、当時のアメリカに存在していたらしいレコード屋の広告、レコードプレイヤーの扱い方についての文章など、良いものが詰まっている。