アンスンエンシス

幼い頃、父親が付き添ってくれて自転車の練習をしていたとき、道路を走っていたら二、三十メートル先から車がとつぜん出てきて、びびりの私はそれだけで転んだ、という記憶がよみがえった。まったく、その車はこちらに進んでくるでもなく、わたしも道路の中央にいたでもなく、事故の可能性は確実にゼロだと言える状況で、ひとりで腰を抜かして泣いていた。中学校に入って初めての体育祭(なぜか「運動会」という呼称は小学校まででそれ以降は廃れる)、わたしの学校は夏休み明けに体育祭を敢行していたため、ちょうど残暑と呼べる一番リスキーな時期にその練習を屋外でさせられていたのだが、そのときに中学三年生の人にやけに気に入られて、可愛がられていたことを思い出した。二歳の歳の差を感じさせず、またそれまで面識はいっさい無かったのにも関わらずフランクに話しかけてくるその人に、わたしは敬語と呼べない敬語を使いながらたじろいで、でも寸分かは楽しんでいた。いま思うと、体育祭という催しにあまり乗れていない雰囲気を察して、わたしがこぼれ落ちないために話しかけてくれていたのかもしれない。または、ただ絡みやすかったのかもしれない。元気にしていれば良いなあ。

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きょう、電車で、このプリントのバッグを持っている人がいた。双方のコピーライトなどはクリアしてあるのか?。

http://roebuck.co.jp

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電車から見えた『日本ローバック』、たぶん工場なのだろうが、この看板は「フォローバック」にしか見えない。腕時計の秒針の音を気にする日だった。家の外でみかんを食べたことってないな。幕張のブックオフバザーに行ってCDコーナーを見ていたら、CHAIの初期音源がある!と腰を抜かしそうになったのだが、よく見たら『ジャジャーン』というEP作品だった。『ちゅーぶらりん』、聴きたいなあ。学校でハンドボールをどれだけ遠くに投げられるか計測するとき、野球部の人がめちゃめちゃな投擲を披露して、すごい、と思ったことがある。きょう乗った電車のドアには、偽多部未華子みたいな、多部未華子によく似ているが何かが違う気がする人物が印刷された広告が貼ってあった。赤い公園の"yumeutsutsu"は、ベルの音とクラップの音がオフビートな感じで入っていてすごい。このひとツイストが格段に良い。駅でブザーが鳴った。体調不良か何かの人が出たらしかった。でかい音で緊急事態を知らせるというのは駅にしてはプリミティヴすぎる手段だと思う。ピチカート・ファイヴの"マジック・カーペット・ライド"とBjörkの"Venus as a Boy"は同じ世界観にあると信じてやまない。小西康陽みたいな人が存命だと、その人が存命であるということだけで元気が出て励まされる。『マツコ&有吉 かりそめ天国』が面白かった。両者の芸風はありつつ、でも視聴者から送られてきたメールには全乗っかりして話をしていて、そういうときに真剣になれるという人間力はあるのだと感じた。「○○ってよくありますよね」という投げかけに「あるある、特にこういうことってあるよね」と返せるか、「いやー、まあありますけどねえ…」と尻すぼみな回答をするか、みたいな。正しい回答というのは無いにしろ、無責任にではなく、思慮深いままで人の話に全体重ぶん乗っかれるだけの器を持てるようになるには時間がかかるはずで、かりそめ天国の二人はそこに達している感じがした。