水車

音楽アルバムは終わりがあるからこそ途中で聴き飽きるというのがある。意外なところに原因はある。むしろ、終わりを感じさせないプレイリストや自動再生のほうが聴く気になる。わたしの小2のときの担任は「定規の下をリンボーダンスのように潜り抜け、より低い位置の定規をくぐり抜けた人が勝ち」というゲームみたいなものを休み時間にやっていたのだが(わたしは一回も参加しなかった記憶がある)、とある日に一人の生徒が上体を反らした反動で目の前にある机に頭を強打し、病院沙汰になっていた。その教師には「課業時間内にパズドラをした」という噂も付き纏っており、その翌年にはどこかに行った。ギターを教室に持ち込みDeep Purpleを弾いていたのもその教師だった。もし、親にいっさいの愛情を受けずに金銭的な支援だけを受けて育った子供がいたとしたら、その子供の親孝行は800万円を親に渡すという簡素なもので済まされるのかもしれない。ルールに巻かれすぎたくはなく、常に正しくある必要もないと思っているのだが、それはそれとして自分の中の何か歯車のようなものが回っていかない感覚があるから、という理由で善行っぽい行いをすることはある。とつぜん駐輪場の管理員みたいな人に「こんばんは」と言われたのだが、「こんばんは」と発語することが妙に据わりが悪く感じられて「ーちはー」みたいな返答をしてしまった。自転車で知らない人を抜かしたら、後ろから「サトウさん?」みたいな言葉が聞こえた。サトウじゃなくて良かったよ。アイドルのレアなCDがヤフオクに出品されていて少し欲しい気持ちが沸いたが、オタクに譲った。音源としてはそこまでレアでもなくその分コレクタブルなものだ。Discogsのアプリがここ最近ずっと不調で、何度ログインしようが自動的にログアウトさせられる。意外と不便で、いかに私がDiscogsを開いているかが分かる。ノイズが好きになっている。だんだんと表情が見えてきている。Brighter Death Nowというアーティストの作品の、すこしVaporwaveっぽいのが良い。気になるヤフオクの出品のことをすっかり忘れていつの間にか入札もしないまま他者に落札されているということが多すぎて、へこむ。