住民になった

コーンスープが飲みたくてコーンスープを飲んだら、うまかった。終了のタイミングが予定に被るヤフオクの出品で欲しいやつがあったので、終了の数十時間前に入札しておいた。電車がトンネルに突っ込む直前の景色がずっと気になっていながらもぼーっとしていて失念してばかりだったのだが、今日ようやく見れた。案外しょうもなく、いかにもトンネルに入る直前、みたいな尻すぼみ感が期待はずれだった。もっと、都会的な景色から暗闇、というコントラストを期待していた。今ここにある現実から2段階くらい離れたことばかり考えてしまう。もし私がアイドルになったら、という反実仮想に留まらず、アイドルになったらどういう発信をしたいか、みたいな、いったん反実仮想を前提として考えないといけない事柄。現実逃避の1つの形なのか。井出ちよの "わたしの高校生活"の歌詞に出てくる、「頑張り屋さん」というフレーズに感動していた。高校生活を振り返って、自らを類型的なものに落とし込まず、自分は「頑張り屋さん」だった!という内容がしみる。『もうすぐ高校生活』で9つの類型的な高校生像みたいなものを歌っていたということも効いている。でも、実際のところ自分はどの型にも当てはまらなかった、という人間っぽさが良い。きょう、駅に向かって歩いていたら靴紐がずるずるの人が私のことを抜かしていって何となく印象に残っていたのだが、そのあと駅のホームでその人が私の後ろに並ぶ形で電車を待っていることに気づき、私はどこでこの人を抜かしたのだろう、と思った。まだ靴紐はずるずるだった。電車内の広告は酒、大学、マンション、脱毛、下品な本についてのものばかりで、もっと感触がさらっとした事物を扱ってくれと思う。ペット霊園や地方番組のことなど。電車に乗っていたら外から射しこむ日光がきつかったのだが、窓に貼ってある多部未華子の広告がちょうどそれを遮ってくれて凄かった。物理的に守られた。

このステッカーのウサギにパッチワークっぽい意匠を付け加えた人には、やはり良心がある。これがないと痛々しい。「縫い」感が救済となる。ベビーカーを押した人に電車で席を譲ったら、その一部始終を見ていたであろう老人がベビーカーに乗った赤ちゃんに手を振っており、私-赤ちゃんとその親-老人、という繋がりがいつの間にかできていた。とくにコミュニケーションは無かったが、登場人物の1人になれた気がした。

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細長すぎる木2本を見た。思考が溢れて途切れない日と思考の無い日が交互にやってきている気がしている。It's Immaterial『Life's Hard and Then You Die』を聴いた。めちゃめちゃ良い。ずいぶん前にCDを買って、ずっと聴かずに放置していたのだった。ポップがうますぎる。『Song』もウォッチリストに入っている。