2月

暖簾って意味がないな。これから中学生や高校生になる人に「学校の屋上で告白されるなんてことは現実ではあり得なくて、まずまず屋上が開放されているなんてことがない」みたいなことを言うのって、意味がない。本でも音楽でも映画でも、何かしらの創作物を出版するときには作品のオリジナリティみたいなものが重視されがちだが、その一方で自分の好き勝手に表現しすぎると社会の誰にも受け取ってもらえない(あるいは受け取れる人がいない)というような側面もあって、他人を突き放しすぎない独創性みたいなものって難しいなと思う。破天荒でも、全てを破天荒にしすぎない、みたいなバランス感。「アイスサウナ」という概念を知って、サウナという言葉の意味、語義を考えていた。インターネットのなかった時代に憧れる感覚はあまり無いが、スマートフォンのなかった時代に憧れる感覚はかなりある。2000年代くらいへの憧れ、回帰志向。インターネットができたのは便利だね、で済んだのだが、スマートフォンができてからは社会は良くない方向に便利になりすぎた感じがある。かと言って今すぐスマートフォンを手放すことができるわけでもないが。家に帰ってからネットを見る、そのくらいの温度感でたぶんちょうど良かった。ネットでバズってこそ花、みたいな感じもやめようや、とも思ったりする。「低気圧だとやる気が出ない」みたいな言説も分かるし、そういうことを言っている他人を受容することもできるが、自分に関しては「低気圧で気分が下がるは嘘」だと言い聞かせて、なんとなく自らをはぐらかしている所はある。花粉や気温についてはごまかしが効かない感じがするが、気圧の話ならなんとなく自分を騙せそうというか、ぎりぎり気分の問題だと割り切れる感じがある。気圧ってほんとうに分からない人には分からない要素だと思うし、わたしも自分がそれをキャッチできるのか分からない。「楽曲派アイドル」というフレーズが目に入るたび、いやいやアイドルは楽曲の良さも含めてのものだろう、アイドル音楽を軽視しないでくれ、と瞬発的に思う感じもあるが、その意見もそれはそれで嫌な感じがするな、と思う。アイドルにまつわるあれこれを規定できるだけの徳が、わたしを含め人間には備わっていない気がする。

「宜蘭クレオール」:台湾の村 「ニホンゴ」話す先住民たち

こういう、境目の文化に興味がある。夢に出てくる人たちがすらすらと発語していることが怖くなってきた。LINEポコポコがめちゃめちゃ上手すぎて、ちょっとTwitterでバズる、という夢をみた。だんだん中国の文化に興味が出てきた。