思い出を発表するコーナー

高2の修学旅行のときに、ホテルで同じ部屋に泊まった人から将来についての決意を打ち明けられたことを思い出した。それは立派な夢で、わたしは気後れした。わたしには早食いだった頃がある。クラスで一番はやく給食を食べ終えた人がシールを貰える、というシステムがなぜか小学校中学年くらいまであり、もう1人の早食い子供とそのシールをよく取り合っていた。すっかり遅食になってしまった今では考えがたい事実で、あれは現実のことだったのか、と疑念すらも浮かぶ。CMやドラマなどの中で描かれる「出勤」「登校」というのは、電車よりもバス率が高い気がする。現実を美化できるフィクショナルなフィールドにおいては、人も少なく降りたらすぐに外界へと繋がるバスのほうが、観る人にとってもより快適な心象を残すものなのだろう。アニメの『サザエさん』は、最後の数十秒くらいで新情報を盛り込んでくるのですごい。家族で動物園に行く→楽しかった→【カツオは学校の旅行でも動物園に行った→いつものごとくカツオはサザエに作り話を聞かせた】というようなストラクチャーがあったら、『サザエさん』は墨付括弧の部分を最後の数秒に押し込む。ひとつオチがついて、そのあとにそのオチの補強というべきか、ひとオチついたあともけっきょく磯野家ではこういう類型的磯野家の出来事が起きているよ、という、物語の外でも磯野家は磯野家である、という延長性の補強のようなエピソードを挿入してくる。常套が常套ではなくて、痺れる。小学校低学年くらいのころ父親と横浜のレコード屋に行ったとき、私の年齢的な物珍しさからかその店主に「いつかタモリ倶楽部に出れるよ」と言われたことを覚えている。出ることなく放送終了してしまったけど。そこでArt of Noiseの12インチを買い、人見知りな私は店を出てから父親にそのレコードについての情報を話し、父親に「それをあの店主の前で言ってよ〜」と言われたことも覚えている。ここの部分だけ、あの日の横浜滞在の中で記憶に定着している。オーツ麦から作られているらしい『アルプロ』という飲料をはじめて飲んでみたが、木、という感じがした。木だ。「えびせんべいの里」、良すぎて私がだめになりそう。『スーパーマリオブラザーズ ワンダー』のスタッフロールが良かった。粋という言葉を使わずにはいられないほど、粋という形容が似合う粋さがあった。ちなみに、わたし自身はソフトはおろかスイッチ自体も持っておらず、ゲーム実況で見たことをここに書いている。ゲーム実況で大体プレイした気になるというか、ゲームのギミックが知れるという点では実況動画で満足してしまうたちなのだが、これで良いのだろうか、とも思う。無料でゲームのプレイ動画を観れるというのは凄いことだ。産業構造を傷つけているような気分にすらなる。この場合、金を払って得られるのは「プレイ権」ということになるが、それに執着しない人なんてごまんといるよなあ、と思う。