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岡田拓郎氏の難解な作品を聴くような姿勢、『Morning Sun』から『Betsu No Jikan』に進んでゆくような姿勢を、いち音楽リスナーとして持ちたい。リスナーとしても、もっとアーティストの創作活動に付きっきりでありたい時がある。必ず付きっきりでなくとも、それを受け止めるレベルにはありたい。「○○さん、□□を知っているなんて渋いですね」というような文脈における「渋い」という形容にはどうも馴染めない。公共の場で、他人がいる方に背を向けて、他人から逸れるように咳をするとき、善人ぶれる。人間を生物として考えると、悩みが晴れる。呼吸器が摩耗しないのって凄いことだな、などと考える。幼児が歩いている姿を見ると、幼児でさえ歩かなければいけないのがこの世界のルールなのだな、と思える。電車の空席の取り合いみたいになったら情けないので、電車では、空席があってもその近くに立っている人がいたら諦める。現実向きのものしか好きになれない傾向がわたしにはあることが分かってきた。フィクションにそこまで興味を持てないというか、それ以上に、人がその人自身として活動している瞬間にかなり興味があり、対象が何であれ、それが現実にどのような影響を及ぼすかが気になってしまう。きょう、車道に少しはみ出して、キャリーケースを引いて歩いている人がいた。車両の定義だったのかもしれない。「銀杏」という植物が消え去った世界では、ネットで「銀杏」と検索するとトップに銀杏BOYZがヒットするようになるんだろう。きょうの午前は鼻詰まりがひどくて、片方ふさがり片方すっきり、みたいな感じでもなく、両方がその機能の70%くらいを捨てているような状態だった。これを書いている今の時点では改善したのだが、プチ酸欠みたいな、脳に酸素がうまく充填されていないような感覚は残っている。「戦争の画像をジャケットに使っているような音楽は、そこに隠された政治思想の是非を判断してからでないとDJに使いづらい」というようなツイートを見た。イデオロギーの話だ。Cherubsの無骨さ、愚直さはもっと評価されるべきものだと思う。ノイズロックを地でゆく。Sonic Youth的な変則性があるわけでもなく、ジャンルとしては近いオルタナメタルやマスロックの匂いがするわけでもなく、とにかくベタ塗りノイズの一本槍だ。

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賞味期限表示が縦長すぎるポテトチップスを食べた。朝、「11月なのに夏日!?」みたいな天気予報にキレて、今日の気温はどの時期のそれに近いのか確かめるために「goo 過去の天気」を参照しようとしたらサービスが終了しておりキレて、まどろっこしい操作が要るほかのサイトで過去の天気を確かめていたのだが、それ自体があまり意味のある行為ではなかった。