マインドオープニング体操\\上 昇 中 で す

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Drop Nineteens『National Coma』のCDを、ヤフオクで逃した。オークション終了日時が日付の変わる頃で、起きていられなかったので予算額の限りを入札画面に打ち込んだが、だめだった。Drop Nineteensといえば新しいアルバムをことし出すらしいので、それに付随した、過去音源のリイシューも期待している。起きるのが下手な富裕層で、毎晩の就寝前にネットオークションに入札して、その結果がどうなっているかを見ることをモチベーションに頑張って起床している人がいたらすごい。朝から食品を摂ってもあまり面白くない。「いただきます」を食への感謝とするか、それとも調理者への感謝とするか、ということには考え方が色濃く出そうだ。大塚製薬『エネルゲン』をはじめて飲んだ。まずかった。はじめて飲む飲み物って、8割くらいが飲んだことのある味で、あと1割が当たり、残りの1割が外れ、みたいな感覚がある。外れだった。『ポカリスエット』を『ファイブミニ プラス』で薄めたような味。Ovlovの『Am』はすごいアルバムだ。シューゲイザーは意識していない感じもある。曲間が良い。リフも良い。深く聴き込むまでは比較的メジャーなバンドだと思っていたが、出ているLPはぜんぶ廃盤だし、めちゃめちゃインディーレーベルから出ている。いつもレンタル落ちCDを格安で売っているツタヤに行ったが、そのワゴンがあったスペースに、きょうはジャニーズ関係のグッズだけが置いてあった。例の騒動にあおりを受けているということなのか。そう勘繰ってしまう。次はCDをたのむ。きょう行ったディスクユニオンでは、好きな感じの曲が流れていて、シャザムをしてみたら、井上鑑というアーティストのものだった。肉体的なシティポップ、あるいはライブラリーミュージック的な落ち着き。店内の隅々まで見たので意識がすこし混濁した。自分の自我が、レコード屋のテクノCD棚の前に立つ自分の肉体を客体視しているように感じられる瞬間があった。駅構内の鉄道ショップみたいな場所に立ち寄った。店員は歳を召した女性だった。他にいた客が¥1,056みたいな端数の合計金額を細かく支払おうとして、その店員は「細かいのありがとうございます・・・♪」と言ったのだが、どうやら細かい小銭を完全には持ち合わせていなかったようで、その客が小銭受けから細かい小銭を取り除き、千円紙幣と百円硬貨で支払ったあとの微妙な空気を味わった。ハヤシライスに何が合うかわからない。カレーに対しての福神漬けやナンみたいなポジションの食品が思い浮かばない。芸能人って長ーくテレビの収録をしていてすごい。風呂から上がってきて、まだこの番組やってるの!?と思うときってある。まったく同じCDを重複購入してしまった。意図した購入ではない。ピチカート・ファイヴの『EXPO 2001』です。ボケ。「忘れ」が本質的な恐怖の対象へと移行していっている。つねに、トイレの個室で大仰な動きをしていたら壁に肘が当たり、その壁の向こうにいる他人にキレられるリスクを考えたほうが良い。中学一年のとき、明らかに教員一年目みたいな教員が社会教科を担当していたのだが、「邪馬台国」を「邪馬大国」と間違えて書いていたことを思い出した。共感性の高い間違い。あのとき、わたしは教室の前のほうに座っていたな。視点とともに思い出される記憶。「よっしゃー」の「よっし」部分は「よし」が由来だとして、じゃあ「あー」という末尾の音はなんなのかという話になる。気持ちが段階的に高揚していく感じはあるが。階段状になった音符のような。「あー⤴︎」ということ。「おちつき」とタイプすると、わたしのスマートフォンでは「あたたか」という変換候補が出てくる。怠惰な日常とやらなければならない事象を融解させ、中庸を保とうとしているときがある。人間は比較的高度な能力を持ち文明を築くことができる代償に、自意識が肥大化したり、利己精神が強大になったりする。ずっとペンとメモ用紙を携行するというのは良いアイデアかもしれない。こういう日記を書くにあたって、書けそうな事柄が起こったらなるべくスマホにそのことをメモしておくのだが、その手間はけっこうでかい。美術館にいるかっこいい人のように、レコード屋で目を引かれるアルバムジャケットを見かけたら、そのタイトルを紙にメモしてみよう。