高架下の悲劇

ドラマを観ていたら、若者が中年くらいの人に重いものを渡すときに「あ、これ重いっすよ、大丈夫?」みたいなことを口走っていて、こういう瞬間ってあるよなあと思った。物体の重さからくる気遣い。アドリブというか、無意識に演者の口をついたのだろうか。あらかじめ台本に書いてあることだとしたら、もっと凄い。そのリアリズムを見逃さずに明文化できる人はなかなかいないと思う。デヴィ・スカルノは思想面でかなり一貫したスタンスを取っていて、一概に肯定も否定もできないが、その強固さ自体は、自分の思想を持とう、と思わせてくれる。風呂掃除を丁寧にするということはかなり良いと気がついた。最近だと、風呂にスプレーをかけて待つだけ!みたいな商品もあって、わたしもそれに頼る日がほとんどなのだが、たまにブラシで、自分の手で磨いてやるとかなり心地が良い。自力で(自らの力や工夫をかけて)完遂することの大切さみたいなものはある。St⭐︎Johnny『Speed Is Dreaming』、よろよろとしたボーカルに音圧の強いギターが組み合わさる面白いアルバムだ。ルー・リードシューゲイザーを歌っている感じ。Cocteau Twinsに似た雰囲気のバンドでChimeraというアイルランド出身のバンドがいるのだが、このバンドはCocteauと違ってブックレットに歌詞を掲載しているので、Elizabeth Fraserの歌声のヒアリング精度を上げるには良いかもしれない。Chimeraの『Lughnasa』はドリームポップ/シューゲイザーの良盤だと思っているのだが、まず日本語では言及されているのを見たことがない。Cocteauよりもギターノイズがささくれ立っている感じでかっこいいのだが。こういうことを書いていると、シューゲイザー・ディスク・ガイドの外伝みたいなものを編纂したくなってくる。あのディスクガイドは良くはあるのだが、Starflyer 59がいっさいメンションされていない点はとにかく不満で。地域的なマニアックさやジャンルの意外性を軸に、「シューゲイザー」の外周をなぞるようなものを作ってみたいという気持ちはある。「X(※)でも人気急上昇中」と書いてから、その文言から離れたところに「※旧Twitter」と書く、みたいな、文章の中に米印を入れて離れたところにその※の内容を書く、みたいな文章がどうしてもだめで、読む気になれない時がある。なぜ脚注を、文章本編から離してしまうんだ、と思う。「X(旧Twitter)」じゃだめなの?という。Wikipediaの[数字]表記のように、その場で脚注が表示できるようなシステムであればまだストレスが無いが、これを印刷物の中でやられるときつい。ひさびさにSlowdiveの『Souvlaki』を聴いている。オリジナル盤のCDをわざわざネットで買ったアルバム。MBVのサイケデリア、Rideのパンキッシュさとも異なる、より肉体的なフォーク〜ポストロックの系譜に轟音を持ち込んだという功績がある。