教育の本質を見た

家のエアコンは「内部クリーン」の時間が信じられないほど長く、ほかのどのエアコンよりも長くやっている可能性があるが、そのときも電気代がかかっていると気が付いて腹がたってきた。The Cardigansの『Life』のCDを、父親と集めていた時期がある。スウェーデン盤、UK盤、US盤、日本盤とあって、それらの収録曲は全て、微妙に違っていた。わたしはスウェーデン盤派だった。単に、そのバージョンをいちばん聴いていた。夏が恋しい!。朝、寒すぎる。きょう、電車で仰々しい格好をして寝ている人がいたのだが、その人が突然むくりと起き上がって、わたしのことをナイフで刺殺する可能性について考えていた。電車の中で仰々しい姿勢のまま居られるという要素、加えて寝ているという要素にサイコ性を感じてしまった。思い切りがよくてかつ悠長、みたいな、二面性に警戒してしまう。「椅子が壊れています」という張り紙がしてある椅子を見た。アメリカはstate、カナダはprovince、日本はprefecture、みたいな、同じような概念を表すが統合しきれなかったもの/ことって残っているのだと思う。めちゃめちゃ国際基準みたいなことに熱心で、こういう概念の呼称の統一を目指しているような人も、この世界に1人くらいは少なくともいるのではないか。きょう、昼食をとっていたら、隣のテーブルから「『ネプチューン』の『ネプ』は『ネプリーグ』に使用されており、『チューン』は『ジョブチューン』に使用されている」という話が聞こえてきて、凄かった。その視点は無かった。冬が恋しい!。中途半端に暑い。Yo La Tengoの『I Can Hear the Heart…』を聴いていた。わたしはこのアルバムの前半を、"Autumn Sweater"を心地よく体に行き渡らせるために聴いている。そういう節がある。このアルバムについて語るとき、「鈴虫の鳴き声が用いられている」などと言って、"Green Arrow"をやけにもてはやす人は信用できない、みたいな部分がある。"Moby Octopad"とかのほうが語れる。総体として、良いアルバムだと思う。良いというか、まあ、"We're an American Band" ~ "My Little Corner of the World"みたいな流れが最後にあったらそりゃあ良くなるよ、という、とっ散らかり感も否めないけど、この2曲には妙な説得力があって、アルバムとして良くならざるを得ないよ、という所に落ち着く。眠たい脳を覚ますために無糖のコーヒーを飲んでいるとき、変な位置にある脳を、錆びたでっかいペンチで所定の場所に戻しているような感覚がある。老人女性が「厚揚げないよねえ?」と、とつぜん、地域の商店みたいなところの店主っぽい人に話しかけているのを見た。わたしたちは、いつも夏が終わりかけて涼しくなりはじめる時期に、涼しい、などと思い、朝は長袖でちょうど良いが昼は少しまだ暑いかな、みたいな逡巡をしてきていましたか?。記憶がない。「はてなスター」に課金要素があると知った。ぞっとした。生きるってこういうことなのか?。「!」や「?」のあとに句点をつけるとキモい気もするが、句点がない文章もキモいので迷っている。