What's New, Pizzicato?

いつも乗っている電車から見えるホテルの名前が変更されていて、以前の名前に二文字加わっていた。もちろん具体名は書かないが、例えば「dog」が「doggy」になるみたいな、そういう変化。それをする意味はいったい何だったのかと、朝から勘繰ってしまった。車に乗ってイオンの前などを通ると、前の車3台がすべてイオンに入る、みたいなことが起こるときがある。マクドナルドの前でもそれは起こる。半端な田舎あるあるとして、これはなかなかに強度があるのではないか。初期の神聖かまってちゃんの、あの絶妙なポップセンスは、メンバーの精神の不安定さによって成り立っていたところはあると思う。同じ現象が起きているように見えるアーティストとしては、BlurのギタリストのGraham Coxonがいる。2000年発売の『The Golden D』という作品は、リスペクトの無い言い方かもしれないが、凄絶な精神疾患の記録に思える。かなりメンタルが回復したと見えて、その4年後には『Happiness in Magazines』というタイトルの、ギターポップっぽいアルバムを出すまでになっている。縁起でもないが、実際、神聖かまってちゃんのどのメンバーも死亡していないというのは大きい。神聖かまってちゃんの誰かが死亡した状態で聴く神聖かまってちゃんは違う聞こえ方をすると思う。Queenの『Innuendo』をFreddie Mercuryが死亡する前に聴いていた人、David Bowieの『Blackstar』を当人が死亡する前に聴いていた人は、これらのアルバムへ抱いている印象が、だいぶ世間一般のものとは異なるはずだ。きょう街で見かけた張り紙で、何かを禁止する内容だったのだが、その英訳が「Absolutely prohibited from…」から始まっていてめちゃめちゃキモかった。禁止は断定的なので副詞は切れる。「Don't do…」でいいと思う。目を逸らしてしまった。「うそぶく」という言葉があるが、調べてみたら、その語源は「嘘」と関連があるらしい。諸説はあるかもしれない。きょうは2軒のレコード屋に行った。意外と3776の短冊CDが売り切れているようでショックを受ける。1軒目はなかなかの不発で、ようやく見つけためぼしいCD、竹村延和『こどもと魔法』も、帯がケースに張り付けられているとの注釈があり元気が出なかった。2軒目では、昔の同級生?と偶然店内で会ったっぽい人がいて、その人がめちゃめちゃ大声だったので笑ってしまった。「俺はロックに生かされてるから」「ノエル・ギャラガーと誕生日が一緒だ」などと言っていた。その人に話しかけられていた人は、ジューダス・プリーストのライブに行ったか否か、フー・ファイターズの新譜を聴いたか否か、などのことを大声で質問されていた。途中レジで会計を済ませたかと思いきや、その同級生らしき人に「これ、キミはきっとハマるから聴きな」と精算したてのCDを手渡していた。実際のところ良い人そうではあって、めちゃめちゃハツラツとした挨拶をして退店していった。わたしは背中を押された気分になり、Tortoiseのレコードとかを勢いで買った。じっさい元気が出た。レジ打ちをしてくれた店員の人の、微笑をたたえた「Tortoiseやるじゃん」的な目を忘れない。店内で流されていた音楽に衝撃を受け、反射的にShazamをしたらピチカート・ファイヴだった。知っていたが聴いたことはなかったアーティスト。おそらく『Pizzicato Five '85』というコンピ。"九月"と"What's New, Pizzicato?"という曲にとくに衝撃を受ける。Perfect Young Ladyというアーティストを想起させる。ますます元気がわいた。帰路で『couples』というアルバムを聴いてみた。野宮真貴氏のものよりも、佐々木麻美子氏のか細いボーカルのほうがしっくりきた。

 

【本日の1枚】ピチカート・ファイヴ『couples』(1987)

ソフト・シティポップという趣があり泣ける。でもアーティスト自身が世界観に没入しすぎていない感じもあり、よりよい。少し構成がルースな感じ。微妙に終始うわついているボーカルワークが素晴らしい。"みんな笑った"・"憂鬱天国"・"そして今でも"と、どの曲名も芯をくわない。アルバムの全てが嘘みたいに感じられる。