乱数調整の光

幼稚園児の頃くらいまでは車が好きで、台湾製とかの異質なトミカ中野ブロードウェイで買って喜んでいた。消防車のトミカよりも海外製のトミカを好むテイストは、いま考えると尖っている。寝床につく直前にコップ一杯の炭酸水を飲む人はいないらしい。人と別れる瞬間は、たとえ子供が学校へ行くのを親が見送るといったような日常的な別れであっても、多少の悲しさを内包していると思う。アトラクションなどが始まる直前、スタッフが客に「行ってらっしゃい」などと声をかけたりすることがあるが、「行ってらっしゃい」から実際の「行き」までの間が短すぎて変な感じがする。「さあ、行ってらっしゃい!(マシンが動き始める)」という、間合いのすごさ。「行ってきます」と発言する余地すら生まない。アトラクションに乗ってシートベルトなどを着用している時点で、もう行ってるようなものだから。駐車場に、虫かごが二つ置かれている家があった。対照実験の自由研究だろうか。気温35°Cのなか、一方のカブトムシにはゼリーを与え、もう一方には与えないと、前者は衰弱し、後者は死ぬ。他人との会話において、じぶんの態度に一貫性を持たせたい。みんなは、少なくともわたしからは、精神のまわりに一定の輪郭を保って生きているように見える。すごいことだ。自責と他への憤怒では、浸透圧がうまく作用しない。サブカル趣味みたいなものを自分から出しすぎるのはいやだけど、そこが直接のアイデンティティとなっているという点では、そういうものを包み隠さず恥ずかしがらず人に伝えるということを「正直で美しい」とするポイントもあり、そこの、サブカル感の絶妙な染み出させ方にはテクニックが要る。Official髭男dismだと保守に行きすぎだが、アイドルポップと電子音楽が好きです、などと言ってはだめだ。そこから先は分かる人にだけ伝える。この場合にいちばん気持ち良いラインは「フジロックに出ているようなバンド」であり、「インディーロック」だと思う。電車が寒すぎる。調整を知って。電車でいつの間にか寝てしまっていて、終点で、むかし同じ塾に通っていた人に起こされた。うそみたいな出来事だ。数年会っていなかったのに。ありがたさと、その人の中でのわたしのイメージが主に「睡眠」になるだろうという、また、わたしは公共交通機関で熟睡して終点で起きられないほど気の抜けた人間だという事実に対する恥じらいが一緒くたに私のことを襲い、ほかの思考がしづらくなっている。この場合にすごいのは、圧倒的に、その起こしてくれた人のほうなので、そういうドジさのある人間だと、多少は不自然でも演じ通すくらいのほうがよいと思っている。Unwoundを爆音で聴いていたのに寝ていた。いちばん横柄かもしれない。今日は出来事が変な感じがする。イベントのない日々に対しての、調整みたいな日。生きるってこういうことなのか?神聖かまってちゃん8月32日へ』を聴きそびれた。来年は聴く。