いやし

さまざまな文明の利器を活用したい。まずはさらさらシートから。ブルボン『味ごのみ』の現在のパッケージには、「豆がおいしい!!」と書いてあってすごい。七種の菓子が入ったアソート菓子で、豆菓子はそのうち二種だけなのに。さいきん、人がレコード屋に行く動画を観てしまっている。大概がおじさんのチャンネルで、その殆どがユーモアの出涸らしにも満たない何かに過ぎないのだが、ひとりだけ、良い人がいる。音楽の好みもわたしと近くて、昭和歌謡のLPばかり買ったと思えば、メタル、シューゲイザー、最近のJ-POPを聴いていたりする。編集もくどくなく喋り方もさっぱりしている。動画の更新頻度が一、二ヶ月に一回くらいなのも、気張ってなくてよい。この件で気づいたこととして、YouTuberは滑舌と発語のスピード感が大切だということがある。生まれもった声質もたぶんある。さらっと発声する人の動画は、観ていて気持ちが良い。Kid Aを10秒ずらして重複再生するとか、Lovelessを0.5倍速にして逆再生するとか、そういうことをしても、良いの?別にいいと思う。ピチカート・ファイヴ『Couples』の中を漂うあの独特な雰囲気、「霧の中にあるようなアルバム」と形容するのがしっくりくる。テレビ局がお金を払ったら、芸能人が来るからすごい。わたしはお金を払っても芸能人は来ない。小さな鞄の人が、コンビニ袋を別で持っていた。本質的ではないかもしれないが、それで良いのだろう。まえディスクユニオンで、店員がすこし変な客に絡まれていて、不憫だった。こういう微妙にいやな経験って、自分の中で消化しようと思っても難しいことが多い。じぶんの問題じゃないからか。気持ち的には消化できても、なんだか悔しい感じは残る。損した感じとも言えるかもしれない。高校時代にひとりだけ厳しい教師がいて、ほかの教師との距離も感じられる佇まいだった。その人は授業で生徒を指名するため、授業中にはつねにへんな緊張感が感じられたが、生徒がおかしな回答をしたとき、その教師が大笑いすることがあり、クラスの空気が一瞬だけ弛緩していた。緊張感を維持する授業はまだかまわないが、その、たまに緩める感じがいやだった。落差で人を懐柔する感じ。ぜんぜん使われなさそうな絵文字をなるべく使うようにしている。🧺←使わない。新しめの住宅街に、ピザーラのバイクが二台つらなって停まっていた。2バイクを要するデリバリーってなんなんだ。「九十九里浜」って、海外の人からしたらけっこう音がおもしろいと思う。芸能人のTwitterに「食事をしてるので○○時までつぶやかないで🙏」とリプライしている人がいて驚いたし、その芸能人がつぶやいたら「○○時までにつぶかないでって言ったよね😅」とリプライしていてさらに驚いた。こういうヤバげな人って身内にいない気がするが、たぶん気づいていないだけだ。SNSを操作させたらリテラシーの強度があらわになる。「奇しくも」って「くしくも」なんだ。「疾病」の「しっぺい」読みくらい不条理に感じる。↓これ、すごいかもしれない。

 

【本日の1枚】The Slits『Cut』(1979)

音がスカスカなアルバムだと思っていたが、ドラムとベースにフォーカスして聴くと豊かだった。Rough Tradeのポストパンクコンピに入っていたので、"Shoplifting"が好きだ。ドラムの残響をバサっと切る手法はかっこいい。