舟を降りる

ブライアン・イーノの80年代の作品を聴いたら良かったな。ギターなんかも曖昧な音像の中に放り込まれていて、Vaporwaveっぽさも感じてしまった。生楽器の音がメタ的に処理されているというか。ブルボン『ミルネージュ』、うますぎるよ。人の話をするのを聞きたい!と思って、Taiko Super Kicksのラジオを聞いた。SoundCloudにあがっているやつ。結局のところ、人生において固定されているものって少ないよなあ、と思う。誰かとつるんでいてもその関係は続くことが確定していないし、毎休日に渋谷に行くことにして界隈ではよく知られた存在になることもできるかもしれない。ふらっと生きていると人生がふらっとしていく。「難航」という言葉はかっこいい。些末な事柄であっても、その事柄に難航している、と表現するとその往生具合が航海のレベルにまで上がる。「船を漕ぐ」も、居眠りという行為に対して船の操縦という行為は大仰かつアップスケールすぎて、ただ「居眠り」と言うよりも気品が漂い洒落っ気が出る。私が学校のクラスという空間を好きでなかった理由の大きい部分には、狭い空間に30人くらいの人が詰め込められていて話し声などがうるさいぶん声が通りづらかったことがあったのではないかと思う。高瀬くるみさんが「たかてん」と呼称されることがある理由について調べていたら朝になっていた。

この記事を読んで、まだまだ私の知らない楽しげなことがある、と高揚していた。Masonnaのライブはかっこよすぎる。ノイズ音楽はだいぶ好きになってきたのだが、とにかく盤が欲しくて仕方ない。サブスクで聴くのでは物足りないというか、自分の中でまだ浮ついているノイズ・ミュージックの概念を自分の部屋の中に存在させて、そこに意味を付与したい気持ちがある。それでようやく、他の音楽との間の境界みたいなものが解けてゆくのだと思う。芸能人に敬称を付けるとオフィシャルな感じがし過ぎて=配慮をし過ぎている感じがして気恥ずかしいが、付けないのは付けないので芸能人を「いち人」として見る感性が養われていない未熟さみたいなものを感じさせてしまいそうで、どうすればよいのか分からない。暴力温泉芸者『Nation of Rhythm Slaves』を聴いていたら、8曲目の"Roll Over “Love-Stylist”"で頭がおかしくなると思った。そんでもって、ラストの"Hayabusa to Watashi"は金延幸子のカバーだもんな。この、人を喰っている感じが中原昌也氏の真骨頂なのかもしれない。