首尾

リビングルームでGasの『Königsforst』を流して、気持ちよかった。はやく起きたのに、二度寝してしまい、最悪だった。ノイズを聴けるときは疲れているときだ。ノイズを受け付けないときは、健康で元気。丸亀製麺に行こうとしたら、馬鹿みたいに長い列ができていて、断念した。並んでいる人の一人に「(店舗を指さしながら)これに並んでます?」などと聞いて、その人はうん、と頷いてくれたのだが、その時の自分の去り方がすこし雑だったというか、もっと丁寧にお礼を言うべきだったかな、などと後で考えたりした。さりげなく探していた1980年代後半のドリームポップ関連作品、Heavenly Bodies『Celestial』とThe Perfect Disaster『Up』のオリジナル盤CDが双方ともに手に入って最高だった。どちらも綺麗だし、オリジナル・シューゲイザー蒐集家として大きな前進だ。そのくらいレア。最近は消費活動自体がおざなりになっていて、お金を出すだけ出して楽しくない、みたいな消費を重ねてしまっているように思う。どうにか、「欲しいものだけを買ってそれに喜ぶ」といったモデルケースに回帰する方法はないだろうか。English Teacher『This Could Be Texas』を聴く。もっとメロディアスかつリズミックな部分が前に出たほうが好きかもしれない、とか思ったりする。途中、Slintみたいな曲があった。2022年のファーストEP『Polyawkward』の頃よりもマスロックっぽい複雑さとチャンバー・ポップっぽい繊細さが増した印象で、スポークン・ワード中心のバンドであることも手伝ってか、曲によってはSlintっぽくなったり、Black Country, New Roadっぽくなったりする。トイレの個室に入って便座が閉まっている場合、困る。閉めるな。開けるのに触らないといけなくなるから。閉めるな。なんとなく、自分が用を足し終わったあとも便座を閉める流れができるから。なきのう行ったディスクユニオンで流れていた、Holger Hiller『Ein Bündel Fäulnis in der Grube』を聴きながら、明るい気持ちで帰宅した。街を歩いていたら、向かいから歩いてきた通行人が「向こうからめっちゃ人来る〜」みたいなことをその友人に言っていて、その人の世界の中ではわたしは景色の一部として存在しているのだな、と再認識した。すこし安心の気持ちがあった。信号待ちをしていたら、ケーズデンキの広い広い駐車場で「ありがとうございました」などと言いながら車を見送っている人が見えて、それもケーズデンキの入口から遠い、周りに誰もいない所での出来事だったので、この「ありがとう」は「麻薬を売ってくれてありがとう」の「ありがとう」である可能性も捨て切れないなあ、と思った。めちゃめちゃ仕事ができる人って、人類がその活動を維持するためにいつの間にか必要視されるようになった労働という不思議な営みをするために体が最適化してしまっているということだから、すごい。Masstransferという、1990年代の終わりくらいにアメリカで創刊されたらしい雑誌(あるいはファンジン)を読んでいたのだが、最高だった。Windy & CarlやFüxaなどの、あの時代のノイズ/シューゲイザー/スペース・ロック/ドリーム・ポップ/アンビエント(・ポップ)系のバンドについての記載ばかりで、このような限定的な書物を手に取る意味を感じた。LenolaやThe Electrosonicsなどのオブスキュア・シューゲイザー、当時のアメリカに存在していたらしいレコード屋の広告、レコードプレイヤーの扱い方についての文章など、良いものが詰まっている。