規範的な予測

映像で「夏」を表現するために、寄りでセミなどの昆虫を写すやつはやめてほしい。キモいから。先日デラックス・エディションが発売された、Pale Saints『In Ribbons』を聴いている。よほど思い入れのあるアルバムでない限り、こういうデラックス・リイシューみたいなやつはサブスクで聴ければ十分、みたいなところはある。サブスクでリリースされなければ、盤を買うことに意味を見出せるが。シューゲイザーと言われるアルバムの中では普遍性が強い作品だと思う。30年前の作品だが、今っぽい。女性メンバーの存在は大きいな。ポップ・シューゲイザーな"Throwing Back the Apple"と"Babymaker"、そしてプログレシューゲイザーな"Hunted"が出色の出来で、それ以外の曲はアルバムの空気感を決定づけている、という意見。しても、最近のLPはちょっと高すぎる。ビビる。

Moonshake『Eva Luna』のデラックス・エディションも聴く。ダミ声ボーカルながら音響派なところもあって、シューゲイザーの勃興と同時期に現れたUKポストロックのパイオニアとも言えるのかもしれないバンド、1992年の1枚目。やけに音が空間的なんだよな。じっさい初EPの『First』はCreationから出ていたマイブラ・フォロワーすぎる内容で(サブスク解禁を待っている)、その名残は"Spaceship Earth"にある。おごり高ぶらなくても自分を保てる在り方って大切だよなあ、とは思っている。Blurが『Modern Life Is Rubbish』の頃にリリースしていたノンアルバムトラックは、秋〜冬の16〜17時代にとても合う。"Beachcoma"のオブスキュア感がくせになる。豆腐を醤油で食べるとき、最初に醤油をまわしがけするのだが、醤油がそのあと流れたり、厚揚げ豆腐の場合だと染み込んだりしてしまうため、けっきょくひと口ひと口の直前に、食べる範囲にだけ醤油をかけ直してしまう。「タカラトミー」という社名は意味がわからなすぎる。Coaltar of the DeepersNARASAKI氏が、現在の『ちびまる子ちゃん』のオープニング曲に携わっていることはスリリングだ。小5くらいのとき、「図工」の授業のなかでクラス内の誰かしらと互いに肖像画を描き合うという時間があったのだが、ほとんどの生徒が同性の人とペアを組んでいるなか、わたし(たち)だけが異性どうしでペアを組んでいたことを思い出した。そうなるまでのいきさつは覚えていないが、直感的に、そうだったんだろうな。Twitterでだけウケている人に「ツイートいつも見てます」と言うことの甲斐のなさについて考えている。動画や音楽や文章なら分かるが、ツイートを介して認識していることを当人に伝えるのか…という逡巡はあるかもしれない、などと、Twitterでだけウケている人との未だ無きコミュニケーションについての想像、あるいは想定をしている。狙っていたヤフオクの出品が思ったよりも盛り上がらずに終わり、想定落札額の約半分の価格で落とせた。盛り上がらねー、と思っていた。ミネアポリス周辺のシューゲイザーシーンについて調べていた。『Redeyed: Minneapolis Shoegaze and Dreampop 1992-1998』『Southeast of Saturn』『Southeast of Saturn, Vol. 2』この3つのコンピを頼りに、戦ってみようと思う。