家を出る前は鼻水が出ていたが、外に出たとたん止まる、みたいなことはある。「外界に対して過敏な人はストレスが多いので、そのぶんニキビや身長の伸びなどの成長に関する事柄が抑圧され妨げられがち」というツイートをこないだ見て、本当かどうかは確かめていないが、妙に納得がいく感覚もあった。Spotifyは音質が悪いが、そのぶんCDを購入することに価値が出る(という思考に及ぶほど、Spotify固執している)。小学校の算数の授業の中で、問題を各自で解いて終わった人は教室の後方に貼ってある答えを見て丸つけをする、という時間がコンスタントにあったのだが、いつも通り丸つけをしていたら、隣にいた人から「ずるいー」と言われた。わたしは5問分くらいの答えを一気に見て覚え、連続で複数の回答の正誤を確かめることにカタルシスを覚えるいやな児童だったのだが、どうやらその人は、わたしが答えも見ずに勘で丸をつけていると思ったようで、わたしの当時の流儀について話したら、「なるほどねー」と返された。きょう行った公共の場に、冷房のついた場所があってやばかった。ここを管理している人々は、みな感覚を失って社会に存在しているのか。公共のトイレなどを利用すると稀にあり得なく汚いときがあるが、その状態を許して公共のトイレから出ていってしまうような人は、自宅ではどうなってしまうのだろうか、と考えていた。数学的に考えると、歯磨きのペーストを床に落としすぎて床が真っ白、くらいはあり得ると思うが。やだね。ニューゲイザー以降はシューゲイザーシーンを(ブラックゲイズや電子音楽、ドリームポップなども含めて)包括的に俯瞰して見れているとして、じゃあ初期のシューゲイザーシーンを形成したバンドはそのルーツに何を持つのか、ということについて考えていた。RideとLushは地にメロディメイカー的な素質があり、意外と鋭いノイズは超初期の、ポストパンク〜インダストリアルな要素を多分に含むシューゲイズ的な音楽への憧れ、SwirliesはMy Bloody Valentineも聴いていただろうが、いきすぎたノイズや性急なリズム感はThe Lilysなどの米国産シューゲイズやポストハードコアの影響を受けていたのでは、などということ。中古CDが買えるという淡い期待を胸に、初めて駿河屋の実店舗に赴いたが、いっさいCDは置いていなかった。地元の、退廃的な中学生グループみたいな人たちはいた。人の実像が見えないネットのコミュニティみたいなものを使っていて、じぶんはそういうところで他人をフォローしに行くことに向いていない、と気づいている。近所の竹林に雑誌のTarzanが捨てられているのを見たことがある。「フラゲ」って意味がわからない。それは前のめりな流通だ。「7時間睡眠と5時間睡眠は逆に疲れる」という陰謀論が、自分の中で醸成されている。6時間睡眠がベスト、という陰謀論もある。オハヨー『プチパーティー』を食べたのだが、この商品の企画会議において、「ピノの廉価版を作ってポスト・ピノを目指そう」的な意見が出たかどうかだけ気になる商品だ。惰性で『ザ!鉄腕!DASH!!』を流していたら、使われる音楽がアバとビリー・アイリッシュだけだった。鉄腕ダッシュの正式な表記って、感嘆符の全角半角どちらも使うんだ。日本古語の「うきたる」と英語の"groundless"という言葉は、地に足がつかないという点で、意味どころかその意味につながるニュアンスみたいなものまで共有している。