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last fmで売名されていることに気づいた。このサイトでは人がよく聴いている音楽を閲覧できるため、「○○(わたしがよく聴くバンド)に似たスタイルの音楽をやってるから、よかったら聴いてみてよ!」みたいな感じの英語のメッセージが、Spotifyのリンク付きで、今までに2件きていた。べつに多分な嫌悪を示すわけではないが、じぶんのバンドが「売名で知ったバンド」になるということへの恐れ、その志と誉の低さについて考えたことはないのか。わたしだったら、赤ちゃんくらい大切にしたいが。Drive Like Jehuのレコードをネットに出品している個人の出品者で、ほかに「時間を無駄にしない術」みたいな本をたくさん出品している人がいて、この2つのアイテムを所有する層ってかぶるんだ、と思った。はじめてThe Stone Rosesの1stをちゃんと聴いたとき、イヤホンで聴いたのだが、快感に襲われた。それまでのぼやっとした、スピーカーから流れるストーン・ローゼスの印象は見る影もなく、すべてが輝いて聞こえた。後にも先にも、音楽を聴いていて性的な何かに近い心地よさを覚えた瞬間はその時だけだ。駅のトイレに、"time is money"と書いてある貯金箱が置いてあった。高潔な金言みたいなものを特に衛生的でもない空間で見させられるという不釣り合いさと、現金を貯めることを奨励する貯金箱に、現金をある意味では優越する時間という概念の重要性を説くメッセージが書いてあるという不釣り合いさ。思わず写真撮影しそうになったが、公共の場のトイレの個室から撮影の音が流れていたら恐ろしいと考えたためやめた。親密度の高さと挨拶の気の入り方は比例する。近所の知らない人などは必然性が低いため互いに礼をするくらい、だが、これが少し知っている近所の人だと「ちわっーす」くらいに挨拶が進化する。外を歩きながらMerzbowを聴いたが、つまらなかった。鼻をかみながら横断歩道を歩いている老人がいた。きょう、新築の匂いのときと、バーミヤンの匂いのときがあった。未就学と見えるきょうだいが、車の窓を開けてそこから叫んでいた。「うるさーい!」と。いつの間にか、昼秋・夜冬になってしまっていて、夜秋を逃してしまった。静謐な心地が一日で最も感じられる夜の時間に、秋の空気が流れるのが良いのだが、ぼけっとしていた。若く見られたかった、という理由で自らを別人格に偽る人がいた、というニュースを見て感心する。没入している。Beach Houseの『Depression Cherry』をリピートしている。このたぐいの神聖な雰囲気は、仏教オリエンテッドな日本人にはなかなか出せないものだろう。予約しておいた、柴田聡子『きれぎれのダイアリー』が届いた。読みやすい文章ではなく、引っ掛からせる文章だ。アイドルの生配信において、人はコメントで目立ちたがるが、とりわけ聞きたいことや特別なイベントがなければそこで出せるカードの種類にも限度が出てきて、その中でも、とくに興味が大きくあるわけでもないのにネイルやピアスのことを突っ込むというのは常套のコメントスタイルとして用いられる。金延幸子『み空』が良い。