これでうまかったらもてる

ゲネプロ」ってドイツ語の略語らしくて、意味がわからない。つんく♂氏の書く文章はつんくすぎる。強烈につんく♂の声が伴う。踏切に捕まり、乗るはずの電車を逃した!と思ったらそれは乗る方と逆の方向へと向かう電車のための遮断で、大丈夫だった。いつも使う駅は設計が微妙で、回り道の箇所がある。言語化するのが難しすぎるが、回り道の構造がある。きょうの満員電車はとくにいやな混み方をしていて、はじめて、降車するときに「すいませーん」と言うやつをやった。今まではせいぜい、降りますよオーラと、頭を下げるモーションで何とかしていた。きょうみたいな有事には、ほんとうに降りれなさそうな可能性のあるときには、声が出せるんだ!、という内在するポテンシャルへの気づきをする。じっさい、「降りる人いますよー」と言ってくれた方もいて、本当に助かったのだが。菓子折りとかを贈りたいね。あまりの混雑ぐあいにげんなりしてしまい、その後の1時間弱くらいに渡り尾を引いた。胸部から血が出てはいないか、などと思っていた。新500円玉が自動販売機で使えなくて、ショックだった。ほかに細かすぎる小銭しかなく、意を決してなんとなく財布の中に長いあいだ入っていたそれを自販機に挿入したのだが、あまりにも情けなくストンと釣り銭のポケットに落ちていった。この一瞬で、機械に蹂躙された気分だった。塩飴の「スポーツドリンク味」を舐めて、むなしい気分になった。むなしいのは味ではなく、ネーミングだ。スポーツドリンクはスポーツドリンクという飲料である時だけ「真」であるが、たしかにスポーツドリンクみたいな味がするので、「スポーツドリンク味」としか形容することのできない味。『プッチベスト 20 2020』で、つばきファクトリーの"表面張力〜Surface Tension"を選ぶ山岸理子さんはすごくて、さらに好きになってしまう。誤用されがちな言葉って、なにか原因があるのだろうか。姑息、確信犯、など。ただ、ことば自体の印象や漢字と、本来の意味の乖離が激しい言葉ということなのか。それとも、誤用のほうの意味を最初に広めた著名人などがいるのだろうか。パソコンにCDを挿入するとそのCDの情報が表示されるが、どういうシステムなんだ。さいきんは、トイレが流れる仕組みについても同じようなことを思っている。機械の力で水に渦を巻かせていて、奇妙すぎる。流すたびに、逆再生みたいでキモいと思うようになっている。以前アメリカ人に貰ったせっけんには、せっけん置きにへばりつき他のせっけんと癒着するほどの、異常なモイスチャー感がある。やけに満足感があった。ニュース番組を点けたら、麻薬探知犬が一つの荷物に反応しているシーンがちょうど映し出されていて、その中には、ただ生の果物がたくさん入っていた。だが、生の果物は輸出入できないため、結果的には役に立っていた。ある程度、社会には常識の通用しない人がいること、すなわち思ったよりも他人に自分のなかの「当たり前」を求めないほうが良いことを認識するためにも、学校みたいなところに通わされていたのではないかとは思う。だめな人はずっとだめだなあ、というあきらめ。