機窓です

13時と15時(3時)を勘違いして遅刻する、という、そのリアリティが嫌な夢をみた。久々に駿河屋で物を買ったのだが、国内盤CDはすべて帯付きで凄かった。梱包が不十分だったらしく一部のケースは割れていたが、「格安なのに帯付き美品」というサービスの満足感で相殺された。ごめんね、と思いながら、家にあったあまり聴かないCDとケースを交換した。

良いサイトを見つけた。結局のところ、最近の海外オタクがまとめたみたいなサイトより、日本の音楽であればこういう類のサイトのほうがディグが捗る。リアルな感じがする。スピーカーを使い終えるたびに音量をゼロにすることはメジャーなのだろうか。ニュース番組を観ていると交通事故と動物の話題ばかり流れてくるのだが、これは啓蒙と癒しのためなのだろうか。にしても枠が大きすぎるような気がする。どのテレビ局も平均的に、だ。多くの人がテレビを観る時間帯を独占しているぶんバラエティっ気を出してバランスを取る感覚もあるのだろうし、まあとやかくは言わないが。半ば義務的にサラダバーで野菜を取る時に、レタスだったら緑緑としてふわっとしたものを選び白くて芯に近い部分は避ける、みたいな、そういうときに幼年期の好き嫌い精神が垣間見えることはある。「家庭の味」として挙げられる料理って肉じゃがばかりな気がするが、それは「家庭」の概念がなんとなく持つ暖かみみたいなイメージと、肉じゃがの温かくホクホクとしたじゃがいものイメージが無意識的に紐付けられているからというだけであって、それを理由に「肉じゃが」で妥協している人は安易であって、もっと、各々が本当に愛していた「家庭の味」を、みんなは本気を出せば捻出できるのではないか。この世には一つくらい、写真を撮られたことのない物や現象、場面があるのではないか、と思っている。電車に乗り込むときにホームと電車の間隔に気をつけることがあるが、その瞬間を収めた写真って見たことがない。足元の、あの隙間を収めた写真。これくらいなら存在しそうなものだが、もっとマニアックなシチュエーション下でのみ観測されるような、ふとした瞬間に目には入っているような事物が写真に収められたことがないというのは、あり得ることだと思う。そこを突いてくるような写真、あるいは絵画、そのような美術の形があるとも思う。