サモエドの対義語

千葉の島に行くことになった夢をみた。フェリーが出港する直前まで乗っていた電車にタブレットの忘れ物があり、それを届けるため、フェリーに遅れそうになっていた。家電量販店のCMや店内でかかっているBGMは、妙に明るく爽やかだ。電化製品に要求されるクリーンなイメージを演出するためだろうか。そういえば、夏場の家電量販店は避暑地みたいになっている。自分の苗字が「十文字」だったらわたしの生活はどうなるだろう、と頭の中でシミュレーションをしてみたが、とくに現在の生活と変わりは無かった。「拡散希望」「リツイートお願いします」などという文言の入ったアイドルのツイートは、リツイートしておきたい気持ちはあるが、わたしの場合は鍵アカウントなのでリツイートしない。それは偽善になるため。3776ってピチカート・ファイヴみたいだな、と思う。その2つが自分の中でつながってきた。3776のプロデューサーである石田彰氏は、小西康陽氏のことをインスピレーションとして挙げている。両者ともめちゃめちゃ音楽的に面白いことをしているのに、良い意味で技巧的に聞こえすぎず、果てしなく快活なポップスを作っている。ピチカート・ファイヴの『ボサ・ノヴァ 2001』、すごい。"マジック・カーペット・ライド"はBjörkっぽい。タイトルにある「魔法のじゅうたん」的な、中東っぽいサウンドエフェクトも効いている。ただおおよその所はハウスっぽく聴けるかもしれない。音量を大きくするほど良くなるアルバム。電車が停まると人の移動が起こる可能性があり、すなわちわたしのスマホの画面が人に見られてしまうかもしれないので、そのたびに無難な画面にしている。文化的かつ語学が堪能な人だと思わせるために、海外の音楽サイトのページなどを用意しておく。松浦亜弥の"♡桃色片想い♡"には色々な音が入っており、すごい。出発まで時間のある電車がホームに停まっていることはよくあるが、きょう乗った列車は、停車中なのに、回送列車じゃないのに、ドアがひとつだけ閉まっていた。ほかは開いている。「無」がある感じがして妙だった。「○○買取ります」という旗が立っていたが、「買取ります」はかなりキモい。「買取」で「かいとり」、「受付」で「うけつけ」と読んでしまう日本語もよく分からないものだが、にしても。「買い取ります」「買取します」、この2つのオプションは比較的整っている。「買取ります」だと「かいとりります」と読めてしまう瞬間があり、その脳の動きが思考を邪魔する。「買取」と書くのが、いいんじゃないかな。バイクがたくさん停まっているラーメン屋を、自転車に乗りながら傍目に見た。インターチェンジの近くに位置するラーメン屋なのだが、あのエリアは「交通」って感じがして良い。バイクも、人々が楽しみながら移動している様子が想起される要素として、あの風景の要となっていた。わたしは、高速道路を降りてすぐのエリアやサービスエリアのことがかなり好きなのだと思う。システマティックだが、人で賑わっている感じ。『ドキュメント72時間』に「高速道路を降りてすぐの洗車場にいる人々」に話を聞くという回があった。やけに記憶に残っている。日記は、自分のことを考える機会になる。回顧でもあり、再認識でもあり、まとめでもある。「不完全燃焼」の「不」を「燃焼」の直前に移動させるみたいな、そういう掃除しかできない。「夜に食べるよりはましだろう」という思考で、昼からポテトチップスを食べたりすることがある。ピチカート・ファイヴの全ディスコグラフィーを集める試みをしているが、リリース形態が特殊すぎて、リリースの数が多すぎて、混乱している。中学の美術部で一緒だった人が見せてくれた「ブラックリスト」に、わたしの名前は無かった。嫌悪感の領域に染み出してこない、絶妙な老人って、いる。確かに老人だが、カラッとしていて価値観も古臭くない。