塩飴の出荷量

新しく買った歯磨き粉のパッケージに「ヴィーガン対応」と書いてあった。ヴィーガンの人は、動物性のものを口に入れること自体に抵抗感があるのだろうか。動物性のものを消費する、という点がミソか。西松屋が母親用の服なども売っていることを知った。当たり前なのかもしれないが、行き届いている。こういうビジネスチャンスというか、需要があるのにやり切れていないようなエリアに切り込む提案を最初にできる人はすごい。手軽にジムに通いたい層の需要を満たすためにライザップのかわいらしいバージョンみたいなのを作ろう、と最初に提案できた人はすごい。傘の持ち手の構造ってバカすぎる。J←ここのこと。かさばる。傘だけに、ではない。ここの構造が許せなすぎて、その構造がない折り畳み傘を使用している。やはり傘はプリミティブすぎる。この世の中にはたくさんの目的に沿って作られた"もの"があり、それらのほとんどは、今や「アイテム」などと横文字を使って呼称できるような、洗練されたアイデアに基づき設計されているものだが、未だに傘だけは「道具」感が否めない。九月になった途端、塩飴があまり売りに出なくなった。損切りが早い!と思ったが、じっさい今日のような、じめっとした暑さのなかでは塩飴の口にはならなかったため、潔い引き際なのかもしれない。「音楽で爆笑したい」って3776の『3776を聴かない理由があるとすれば』だと思う。🦾←おもしろすぎる。健気なシンギュラリティ。山口美央子の『月姫』を、リリース当時に聴いていた人はとても文化的だったと思う。ある程度ニッチな文脈で語られることが多かったのか、それとも案外、他の平凡な歌謡曲と並べて紹介されていたのか。このアルバムは、"さても天晴 夢桜"がすごい。知らない日本。はじめてYMOを聴いたときの衝撃に近い。古くも新しくもない。The World Has Turned and Left Me Hereを聴いたらその直後にBuddy HollyとUndone - The Sweater Songも聴きたくなる、みたいな事象ってたくさんある。家の中で蚊を見つけて見失って探す時間が、人生を通して、累計で一日分くらいあったらめちゃめちゃ嫌になると思う。わたしの親の字がもっと綺麗だったら、わたしはもっと正義感にあふれ、シビアな人になっていたと思う。両親の字がある程度は汚くて良かった。世界史などをやっていると、「○○により民衆の不満が高まり△△党の人気が高まった」みたいな記述を目にすることがあるが、未来の人々からすれば、今のわたしたちもその「民衆」にあたるのだなと思う。ものごとは俯瞰するとやってられなくなる。ピチカート・ファイヴのCDをまとめて三枚買ったら、そのうちの一枚が再生不良だった。とくに盤面の傷や再生不良についての記載もなかったのに。ほんとうに腹が立つのだが、要らないCDを売ったりする良い機会ではあるのかもしれない。PayPayフリマのMORE、お前だ。覚えておきなさい。なにがMOREだ。Sprainというバンドの『The Lamb as Effigy』という作品を聴いている。頭がおかしい。あえて雑音の中で聴きたい。