街を歩いてみた

神聖かまってちゃんの配信切り抜きを観て、日を跨いだ。全員に長生きしてほしい。わたしにはアイドルのツイートだけを見るためのTwitterアカウントがあって、そのアカウントではフォローしているアイドルのほとんど全てのツイートをいいねしているのだが、いいねするツイートを選んでも良いのかもしれない、と思い始めている。会心のツイートにだけいいねする、特に好きなアイドルのツイートにだけいいねする、みたいなこだわりがあったほうが、相互に張り合いが出て良いのではないか、という感覚に寄っていっている。かなり昔、ポップソングばかり聴いていたころ、ニコニコ動画を使用していたら、Rideの"Vapour Trail"と神聖かまってちゃんの"夕方のピアノ"のMVが出てきて、なんとなく閲覧したことを思い出した。

"Vapour Trail"は確か↑の場面がサムネイルで、この画像が印象に残っていた。「シューゲイザー」というジャンルに対して、異質で敷居の高そうな印象を抱いていたことも急に思い出した。"夕方のピアノ"のほうは「死ねよ佐藤」という歌詞が印象に残っていて、おっかねえバンドがいたもんだと思ったし、それから数年経ってこの曲を聴いたときに、あの時の曲だ、と、このニコニコ動画の記憶がよみがえった。電車で持っていたナイフをぽろっと床にでも落とすようなことがあったらどうしよう、と妄想を巡らせていた。両手を上げて、ナイフは足で完全に押さえて、「わたし料理人をやっておりまして、これに殺傷の意図はありません」などと弁解するのが最適解だという結論に至った。「雰囲気」という言葉を考えた人のセンスは良いと思う。店でPayPayを使おうとしたら、よく分からない機械によく分からないかざし方でスマホをかざすよう店員に言われて、パニックになった。なんか、「上にかざしてください」などと指図されたのだが、ぜんぜん意味が分からなくて、どの座標に「上」なのかが不明で、すこしうろたえる時間があった。飲食店に行ったとき、入店してくる客から見えやすい(たとえば入口のドアの近くや窓際の)テーブルに座っていると、「自分は今、いわば店の顔になっているのだから美味そうに食べなければならない」などと、無駄なことを思う。マツモトキヨシの前を通ったら、セールをやっていることを大声で周りに知らせている店員がいて、マツモトキヨシの売り方として意外な感じがした。イオンに入っている閉店間近のアパレル系の店くらいしかこの手法を使わないイメージがあった。きょうディスクユニオンに行ったら、Swirlies『Blonder Tongue Audio Baton』のCDが¥3000で売られていたのだが、「キズあり」との備考を読み買わなかった。はじめてCDの現物を見たわたしの好きなアルバムを前に、英断だった。完璧なコンディションのものに巡り合うまで待つ、という姿勢を貫けてすごかった。肌着一枚で歩いている老人がいた。ダニーデンサウンド、と呼ばれる音楽を聴いていた。JPS Experience『Bleeding Star』と、Look Blue Go Purpleのコンピレーション盤が良かった。