徠街

井出ちよの "打ち上げナイトスカイ"は完璧な曲だ。残りの人生で何回聴くことができるのかを意識してしまうほど良い。散歩が好きでないことに、このあいだ気がついた。それまでは、何気なしに外を歩き回るということを何度かしたことがあり、自分のそのような行為を健康に資する活動的な営みだとぼんやりと捉えていたのだが、やりたくて散歩をしたことって一度もないのかもしれない、と、先日のうすら寒い(そして薄暗い)夕方に外を歩いているときに勘づいた。真相に近づいた。祖母が、要冷凍の丸々一匹ぶんの鮭の切り身をそのまま保管し、全部だめにしてしまった。総じて胸糞が悪くて悲しくなった。適切な保管方法の記載を読むに至らなかった祖母と、祖母を咎めるということと、そんな終わり方をする、生き生きと泳いでいたであろう鮭、それらしかここには無い。そして祖母を咎めることを肯定しきれない。生命には能力が落ちることしか残されていないのか。能力の落ちたひとを咎めるしかできないという環境、その加虐性、または無力さ、それと対照的に生きるために他の生命を殺生しなければいけない、でも殺生する知能は持ち合わせている人間という存在、そのようなことが一斉に頭をよぎり、それゆえの悲しさが溢れた。こういう悲しさを溢れさせる話みたいなものをインターネットに投稿することは憚られる気もするが、こういうことがあったの。だから許してね。