プードルが疾走

むかし軽ーく書いていたAmebaブログのページに久々に訪れてみたら、全ての記事が消えていた。自分で消したんだっけ。消した覚えは無いのだが。そのブログ時代にはScritti Politti『Cupid & Psyche 85』のジャケットのバージョン違いをまとめた記事をあげていて、その記事は自分でも気に入っていたので悲しい。これからのCupid & Psycheディガーの教科書的記事として、残っていてほしかった。はてなのプラットフォームに過去のブログ記事を統合したい欲が高まったため、このブログを立ち上げる前にnoteで書いていた記事を四本、ここに再アップロードした。外で草刈りしてくれてる行政みたいな人たちにはありがたいと思っているが、かなり音が大きい。汗をかきすぎて、逆に弱冷房車がありがたい。罵倒語はひらがなにすると弱くなる。一駅ごとに雨量が違う。初めてやった「どうぶつの森」シリーズでは、村の名前を「たのいし村」にした。当時の記憶ははっきりとは覚えていないが、「たのしい村」のミスタイプを敢えて赦し、ベタにいかない姿勢があったことについてはかなり評価ができる。虫ってどこにいるかが分からない。いかにもショウリョウバッタみたいな音がしたときも、なんとなくそれが草むらのほうから聞こえるのは分かるのだが、その姿自体を知覚できたことがない。「キボンヌ」というネット用語は、「希望」という言葉から母音や文字数の観点である程度離れているのに、なんとなく「希望」を意味する言葉だと分かるのですごい。自転車に乗っていたら同じように自転車に乗っているおじさんと合流して、その荷物かごをよく見たらプードルが入っていた。ただの「おじさんの乗る自転車」ならサッと抜かしてしまうのだが、「おじさんとプードルの乗る自転車」にはなんとなく愛着を感じ、進路が別々になるまでずっと抜かせなかった。基本的に、学びは年上からするものだという認識があるのはすごい。認識とかのレベルでも無いのかもしれない。年下から「学び」を得たら、恥ずかしがる人が大半だろう。教師も当たり前のようにみな自分より年上だ。学問でなくとも、年下の人物に学ぶ機会があったら色々と面白い気がする。きょうみた夢の中で、ミシシッピ川が乾き切る寸前まできて川としての存続が危ぶまれる状況だったのだが、なぜか日本の川から水を運んでミシシッピ川に送る、という愚策が採用されていたので、ネットニュースを見ながら驚いた。

 

【本日の1枚】The Van Pelt『Sultans of Sentiment』(1997)

これは久々に、大ハマりアルバムだった。ポストハードコアの性急な感じ、ボーカルのエモっぽさ、Pinbackを彷彿とさせる悠長かつインディーな音像、ここら辺が混ざり合っている感覚がある。"Yamato (Where People Really Die)"、ほんとうに今の自分のために作られた曲なんじゃないかと思うくらいには完璧で、感動する。