反撃集

中原昌也の日記を寝る前に少し読むことが、何かをもたらすのではないかと期待している。The Strokes『The New Abnormal』とSports Teamという英国のバンドばかり聴いていた、2020年春のことを思い出した。自由な時間12時間と自由じゃない時間12時間を与えられることと、自由だが常に責任を背負う24時間を与えられること、どちらもある。まあまあ起きられない。中野駅のトイレに行ったら、そこだけ異様に暖房が効いていて不気味だった。効いていたというか、肌で感じられるほどの温風が空調設備から出ていた。きょうは何故だかお腹が下っていて、わたしなりに日々を頑張っているのにひどい仕打ちだ。ゆらゆら帝国の『空洞です』を聴きながら街を歩いた。このアルバムは、ラスト二曲に差し掛かるくらいのところでとつぜん終わりが見えてくる。ゆらゆら帝国はこの作品しかちゃんと聴いたことがない。中野では、レコード・ショップ『レア』に行った。数年振りの訪問。店外に置いてあるCDがすべて三百円弱、店内の商品はすべて半額、という、謎の大盤振る舞いセールをやっていた。その結果、会計の額がCD二枚でわずか三百円強だったので、究極の安物買いみたいになってしまった。そのあとディスクユニオンにも寄ったのだが、店内に謎の外国人がいて、緊張感があった。誰かとビデオ通話をしていたのかはたまたVlogを勝手に撮影していたのか知らないが、まあまあでかい声で喋っていて、店員さんもじんわりと困惑していたし、わたしもノイズ/アヴァンギャルドコーナーを集中して見れなかった。はなまるうどんには無駄がなくてスタイリッシュだ。今日はやけに眠くて、電車で寝る。乗り換えに失敗して、駅の建物の中でたくさん歩く羽目になって、自業自得だった。完全に大人になり切れない人生なのだろうなと思っている。そのような自分の純粋さには、喜べるところも不満に感じるところも勿論ある。もっと、人生を楽しむ生き方へシフトしていかないと、何かに飲まれる。朝が慌ただしくて気がついていなかったが、今日は眠い寄りの日だ。起きた瞬間に、一日じゅう眠いことが確定しているような心地のする日。Difference Engine『Flex Lavender』を聴いていた。シューゲイザーやドリームポップといった表情はあまり無いのだが、妙に空間的、叙情的なインディロックで、助けられる。

「猿でも分かる」というのは猿に失礼だし、「中学生でも分かる」というのは中学生に失礼だ。わたしの使っている小さいメモ帳が無印用品のものだと人にバレたとき、恥ずかしかった。無印用品に体重をフルで載せることができないでいる。さまぁ〜ずは、「さまぁ〜ず」に改名してから大きく売れたので、新奇性のある変化を恐れることがなさそうだ。五階建てのダイエーの一階とかにある、カレーからラーメンまで何でも出すようなファミリーレストランみたいなやつ、この先どんどん消えていくのだろうな。シジマ『夏の静寂』がかっこよすぎる。フィメール・ソロ・プロジェクトらしい。打ち込みアシッドシューゲイザーといった趣きがあって、その上こぢんまりとしているのがオリジナルな魅力を放っている。シューゲイザーっぽくて浮遊感のある女性ボーカルの曲が頭を回っていて、ずっと曲名を思い出せずにいたが、それがSALON MUSICの"Tiger Hole"だと思い出して気持ちよかった。初めて行く本屋で、室木おすし『たまに取り出せる褒め』を買った。昼休みの時間帯に社会人みたいな人たちでごった返す、都会の本屋だった。今日はぼけっとしていて、同じ道を三往復する羽目になった。コンビニを通り過ぎて昼食を買いそびれ、そのコンビニまで戻って、でもその往復の時間のぶん昼休みの時間が減ってしまって、けっきょく15時くらいまで昼食を食べられない、みたいな、ただただ全てが自分に起因する昼だった。高校生のころ、昼休みになると自分の席の近くに複数人がたむろする時期があって、めっちゃ近くにたくさん人がいる中ご飯を食べるのが嫌だったので、松の木の下でひとり、ベンチに座りながらお弁当を食べていたことを思い出した。Valknee『Ordinary』を聴いた。フルアルバムというフォーマットでValkneeを感じられることが何より良かった。ボーカルが楽器になっていた。自転車を漕いでいたらどこからか車のクラクションが聞こえたのだが、その時にちょうどすれ違った歩行者が「びくしたあ」(反射的であるため小さい「つ」と「り」は抜けている発語)と口走ったのをわたしは聞き逃さなかった。すこし生活に余裕が出てきた気がしている。21時半から22時前くらいまで寝た。日に当たって疲れる。

すからべ 人間

f:id:themores:20240411205052j:image手続きの勘違いをして、新沼希空さんのサイン入り写真集を入手できる可能性がゼロになったことに気づき、落胆した。これは絶望だ。もう二度とチャンスは無い。一生、このぶんの負債を抱えたまま生きることが確定している。注文をミスった、ということに気づかなければ、サイン本は当たらなかったなあ、だけで済んだのだが。すいていて、各駅停車で、終点で降りる電車に乗っていて、終点に着く頃には家にいるのと同じような気分でいた。事実、きょうは寝坊をしたのだが、寝坊をしていないふうな雰囲気を作ることには成功した。「人の集中力が持続する時間は45分くらいまで」といった言説をほとんど信じているし、なんとなく正しいとも思っている。昨日のテレビ番組で吉川晃司が「電車に乗ることがあるが周りはこれ(スマートフォンをいじるジェスチャー)だから意外と気づかれない」みたいなことを言っていて、芸能人のやるスマホをいじるジェスチャーには凄みがあるなあ、と感じた。電車に駆け込み乗車をしたあと、周りから見てわかるくらいの安堵の表情を浮かべている人がいて、なんとなく漠然と、こんな大人にはなりたくないなあ、と思った。バッグに付いているチャックの装飾品みたいなやつが取れた。かなり簡易的な装飾なので、ぽろっと取れて道に落としてもそれまでだ、とそのままにした。最近は上に行ったり下に行ったりするのにエスカレーターばかり使っていたのだが、下るのに久々に階段を使ったら、膝が曲がって、あとリズミカルで楽しかった。すこしリフレッシュできる感覚すらあった。森羅万象を変な視点から見ているという点では、お笑いと哲学って似ている。今日は意外と寒い。Masonnaのノイズは短いから好きだ。怒りの発露をする、パンク音楽の系譜にあるノイズだと捉えている。『華大さんと千鳥くん』が意外と遅くまで放送されていて嬉しい感じがする。たまに断片を見かける程度ではあるのだが、あのごちゃごちゃとした感じが平日の夜十時台に味わえるということに安堵感を覚える。玄関のライトが切れて悲しい。海外の人が音楽を聴きながらそれにリアクションをする動画を観てしまっている。わたしはこういうリアクション動画みたいなやつがけっこう好きで、それは、音楽を人と楽しみたい、といった欲求の一部が満たされるからなのだろうなと思っている。

不安・分裂

やらなければいけないことを溜めている夜なのだが、世界史が覚えられなさすぎて絶望した夜や、数学が理解できなくて「数学 わからない」みたいな検索をしていた夜よりはましだ。今日のは、腰を上げればできることだから。ホラーゲームの実況動画って画面が暗すぎてあまり理解できない。「方法」と言う代わりに「方法論」と言って、少しかっこつける時がある。本当にまずい状況のときって、口の中から水分が引いていく。不安が重なり、でも朝の五時半から七時半まで睡眠をとって、徹夜を避けた。短い睡眠のあとに観る『ラヴィット!』はすこし不快だ。開いたパソコンを持って移動するという、ビジネスマンっぽい挙動を家の中でした。とつぜん郵便物が届くから。結局、その郵便物はポストにも入っていなくて、おそらく隣家への届け物だったのだろうと思う。左手の中指だけがしびれていて怖い。人ってめちゃめちゃ移動するからすごい。外に出てみたら、今の自分と対比して、悠長に生きている感じの人がたくさんいて、少し落ち着く。こういう時の曇天は不安だ。男-女コミュニケーションではなくて人-人コミュニケーションをする、といった意識のない人がいる。驚くことに、わたしは人生経験を重ねるごとに人が嫌いになっている感覚がある。そんななかMasonnaを聴いたら、いつものようにうるさく感じなかった。ちょうど今のわたしのムードに乗るだけで、それ以上でもそれ以下でもない体験だ。都会はやはり、あまり良くない。地方の大都市、たとえば広島や仙台など、そのくらいの場所がちょうど住むのにも行動するのにも良い気がしている。世間に対して怒るみたいな生き方をしていたら、だんだん生きる気力もわいてきた。怒りは生きる気力をふるわせて回復させるのかもしれない。人間らしく生きることのできる側にいたいと思っている。坂本龍一のドキュメンタリーの再放送を録画した。これは観なければ、という感じがした。やらなければいけない感じのことがひと段落して、心地よい。

インダストリアル・チーズ

f:id:themores:20240407000833j:image国が作れるくらいの人数がこの動画にいいねを付けていて怖い。高二の最初の日本史の授業のとき、「歴史は本当ではないと思う人?」みたいな教師の質問に対して、手を挙げたことを思い出した。なぜ手を挙げたのか、今となっては図りかねる。この質問自体もなんなんだ、とこれを書きながら思う。映画『アメリカン・サイコ』の一番有名なシーンの切り抜きを観て、ネットショッピングをして、海外のクレイジー動画みたいなやつを観て、早朝になっていた。寝るのに時間がかかる、起きるのに時間がかかる。Duster『Stratosphere』を久々に聴きたい、と思い聴いてみたら、音とリズムだけみたいな音楽で、まだ良さが掴めなかった。宇多田ヒカルの"traveling"を、「MVがかっこいい」という理由で好む人もいれば、「ミラクルひかるを思い出す」という理由で嫌う人もいる。最近は人生にあわてている。春のあわただしさを本当に嫌っている。今のわたしは人生のちょっとした岐路に立たされていて、一時的に芸術などの物事に全力で向き合えない状態にある。

エリア65

睡眠にかかる時間ってよくよく考えたら長すぎる。「六時間後に待ち合わせね」などと言われたら、そのあいだ、隣町で一通り遊ぶことすらできる。みんなはそれぞれの長所を育てて、それを活用して生きる人生を歩みがちなので、「ハリウッド映画がだめだめ」とか、「一流のイラストレーターが少ないギャラで仕事を受けてくれる」とか、そういうことがなくて、それは少しつまらない。もしも自分が、たとえば作曲の才能と宇宙飛行士になれるほどの能力の双方を持っていたとして、わたしは作曲の才能を完全に隠したまま宇宙ステーションまで行って、そこで作った曲を宇宙からリリースして、「宇宙で作曲!?」などといったコピーとともにバカ売れしてやりたい。能力をひとつ育ててそれで食っていく的世界観のもとだと、そういう意外な出来事が無い。『人生の楽園』の「きょうの楽園通信でーす」という台詞が、西田敏行のものか、それとも菊池桃子のものか、わからなくなる。マンゴージュースを飲んだコップをベッドの上に置いておいたら倒れて、マンゴージュースの一滴二滴がこぼれてしまい、情けない。

正宙夢

好きなラーメンの味は?※不正投票があったため、票数を調整しました。:投票しよう:ニフティキッズ https://kids.nifty.com/cs/catalog/kids_vote/result/1.htmf:id:themores:20240405001604j:image

不正投票があったことも見ものではあるのだが、「投票しよう」という文字の横にあるイラストを見る感じだとこれは子供を選挙に慣れさせるための試みのように見えて、ちゃんとしていた。LINEのプロフィールを変えてやった。まだ十時くらいかもしれないなあ、と期待しつつ起床したら、十五時半だった。昨日の夜から二回も同じ相手からの電話を逃していて、ひんやりとしつつ折り返した。寝起きすぎる声だと申し訳なかったので、起きてから十五分ほど経ってからかけた。ここ数日、歯ブラシを替えなければ、と思っていたためだろうか、今日みた夢の中でわたしは歯ブラシを替えていたので、それを正夢にした。昨日の夜、「歯磨き粉に入っているつぶつぶはあまり良くない」というネット記事を見て、それからずっと、歯磨き粉に関する薄い焦燥感に苛まれている。逆に、髪の毛を真っ黒に染めてみたい。どこまでいけるのか試したい。Dailymotionを観ていて、故・上島竜兵氏の出演するCMが流れてきたとき、全体的に申し訳なさがあった。「クッキー&クリーム」というフレーバーがあるていど覇権を握っている理由がわからない。批判ではなく、疑問だ。ダイソーで、知らない子供に腕を爪で引っ掻かれて、子供の爪って鋭いんだなあ、と学んだことがある。