10:57

Markus Poppは天才だ。今すぐ家を飛び出して、ディスクユニオン電子音楽コーナーを漁りたい。わたしは海外の音楽から音楽を聴き始め、ある時点までは日本の音楽をなんとなく避けていたため、わたしはいまいち日本の音楽の美味しいところに気づけていないのではないか、といった意識が薄く残り続けたまま現在に至っているのだが、最近になって、わたしは意外と今の日本の音楽を楽しめているなあ、という感覚が芽生えてきた。苦しみの種にも満たないほどのコンプレックスが段々と解消されてきていると言える。音楽を熱心に聴く上で、熱心に聴くならいま現在の音楽も押さえておこうよ、みたいな、変な潜在意識みたいなものは多分わたしの中にもあって、確かにそれをしないと三十年後に1990年代の音楽を語るような(すなわち2024年現在に1960年代の音楽だけを延々と語っているような)人になってしまうため相応の危機感みたいなものが幅を利かせていて、それが90年代の音楽好きというわたしのアイデンティティに干渉する瞬間というのが今まではけっこうあった気がするのだが、それが減っているのを感じる。どうせ音楽を聴いているならAdoもOfficial髭男dismも一度は肌で感じたいし、現行のシューゲイザーにでも現行のVaporwaveにでも同じ態度を取りたい。変な時間に部屋の片付けを始めて、すぐに飽きて動かしたもの全てを元の位置に戻していたりしていたら、好きなアイドルの生配信を見逃した。きょうは一切皆苦という言葉に深く共感する瞬間があった。苦が伴わなかったことがない。最近のわたしは「意味のないことなんてない」論に囲まれすぎていて、それが逆に疲れる。意味がないから切り捨ててしまおう、をできる物が無くなってきているのを感じる。Pita『Get Out』収録の"3"という曲に、今までに感じたことのないカタルシスを感じている。自分の体の知らないツボを押され、押されたことでそれを初めて知覚した、みたいな感覚。"3"はハーシュノイズ作品なのだが、泣きのノイズが鳴っている。シューゲイザーともハーシュノイズともアンビエントとも規定できない、ノイズ音が本質的に持つ切なさをキャプチャーした音楽。