毒ミント

ここ数日、Alcian Blueの『Slow Colorless Stare』を聴いたり聴かなかったりしているのだが、あまりにもやる気のない音楽なので面白い。ボーカルに力がなく、とりあえずギターノイズで空白を埋めておこう、みたいな、ある意味でサイケ/シューゲイザー系作品の究極の表現をしているとも言える。しょうじき退廃的すぎて、琴線に触れるものは今のところ感じない。ひさびさに金縛りに遭った。あの時の圧迫感というのはもちろん不快なのだが、金縛りの時の視界はいつもと違う気がする、という切り口では少し魅力的というか、その感覚を反芻したい気もする。金縛りのときの視界が明瞭だったことってない。ピンチから脱しようと脳がパニックになって、視界に割くリソースが少なくなっているだけなのかもしれないが。あと、金縛りに遭うたびに「金縛りを途中で解く方法」を思い出そうとするが、実践できずに終わってもったいない。アンビエントは、音が良くて清冽であってほしい。ハードオフで柴田聡子のCDがまとめて大量に売られており、わたしの隣でCDを見ていた柴田聡子ファンらしい人も無視できないといった様子でこちらに近づいてきて、二人で仲良くそのCDの山を物色した、という夢をみた。こういう夢こそ最後までみれなくて、都合が悪い感じがする。なんか、寝る前にどんなに眠くても、長い睡眠が許される時でも、六時間くらいで目が覚めるようになってしまった。『柴田聡子の台湾周遊記』を観た。製品としてパッケージングされた映像ではあるが、かなり日常と地続きな感じがして楽しめた。わたしも何か頑張ろうと思った。アイドルのDVDを観ながら食事をしようと思ったら、アイドルのことを見逃せず、食事が進まなかった。トップバリュ『ガトー・ソワイユ ティラミス風ヨーグルト』を食べた。りんごの果肉が入っていたことが意外で、その意外性と単純な酸っぱさに面食らった感じだった。あまり美味しくはなかった。CDを買ってから、サブスクで再生回数を回してみている。うーん、Spotifyに与したくない、とも思うのだが、同時に生活の一部になってしまってもいる。「画面から離れて見てね」は、その映像が何らかの画面を通して閲覧されることを前提とした言い回しだが、確かに「画面から離れて見てね」という表示のある映像は画面を通してしか閲覧できないため、後追いで正当性が担保されている。取り皿と取り箸は要る気がする。本を読んで、本を読んだことをこのブログに逐一書いているようじゃあ落ち着いて読書ができないだろう、と、毎日このようにしてブログを綴って全世界に節操なく公開することへの疑問というか、それをやるのとやらないのではどちらが楽しいだろうか、といった感覚が湧いてきた。このサイトでブログを更新することについてはかなり肯定的なままこの数ヶ月を過ごしてきたが、ここにきて自分の中でアンチテーゼが掲げられている。