黒髪のいない街

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サイゼリヤに勝っていてすごい。パンクを聴くが政治に興味がない、みたいな、まあそういう例は珍しくないのだろうけど、もっと「歴史を学んで暗記するがその意義をいっさい捉えていない」みたいな、出来事や芸術作品のガワだけを見て要旨をすり抜けるみたいな人はいる。言い尽くされたことかもしれないが。学校で日本史や世界史を学んで、それこそ中学レベルのものは必死になって暗記して高校受験に臨んだ記憶があるが、その時のわたしは、それらの歴史的意義みたいなものを捉える知能(あるいは、「教科書で学ぶような歴史にはたいがい歴史的意義が付随する」ということ自体を捉える知能)を持ち合わせていなかった。そうわたしが気づいたのは高校生になってからで、おそらくそのことに気づかないままふらふらと生涯を終える人もいて、もっと物事を大局的に捉えさせる教育にシフトすることもあって良いのではないか、と高校生ながら思っていた。物事をメタ的に把握しないと前進しない場面は、たぶんある。「アナ雪」が流行っていた時、わたしは「アナ雪」を惰性で観た記憶がある。瞬く間に世の中を席巻しすぎると、コンテンツはその一瞬の時に固定されてしまい、やがて、悪く言えば一過性の、「一時代の現象」として片付けられやすい。反対に、リリースされたタイミングで多くの人に知られなかったコンテンツは、あとで発掘されリバイバル、そして"This song was way ahead of its time"などと持て囃されることがある。小学校の授業参観で父親が学校に来た時、廊下の壁に貼ってある掲示物のひとつに記されていた「七海」という名前を父親が見て、七海っていい名前だなあ、と言っていたことを覚えている。確かに良い名前だ。その人とは確かそのとき同じクラスで、一緒の中学校に進んだし、仲が良かった。学校などの大量の人の集団の中でたまにいる、やけに話しやすい人のうちの一人だった。小学校のころの掲示物だと、「フジロックに行ってGorillazを観た」という内容の夏休みの絵日記が飾られていたことがあって、それは強烈に覚えている。土屋太鳳ですら毎週のようにブログを更新しているので、私もがんばる必要がある。赤い公園をとつぜん、たくさん聴いていた。ポップさと異物感の融合という点で卓越している数少ないアーティストであり、こういうバンドこそ何故か続かなかったりする。年末にかけて我々の時間を奪い取るコンテンツが多数跋扈することが予想されるため、私たちは私たちの時間をそのようなコンテンツに奪われないよう、細心の注意を払うことが必要だ。きょうはニュース番組を無音で観た。とくに、新情報を取り逃がしてしまわないように音を出したい!と思うことは無かったので、ニュース番組は音が無くても観れるようになっているのだなあと思った。逆に、6月30日のことを考えたい。Taiko Super Kicksのラジオを聞いて、Workflowyというサービスを知った。いくらでも項目を連ねることができて面白い。何事も、例えばデザインだったり、大きい事柄だと生き方においても、うまくやる攻略法みたいなものに沿いたくないというのはある。デザインの基礎を学んでからポスターを作成する、動画を編集する、そういうことは着実ではあるのだが、おもしろくない。森羅万象の中の一つくらい、全く参考書の類を読まなくとも良い感じにいける事柄が混じっていると信じて、その事柄にけっきょく辿り着けない人生でも、そういう試行錯誤の数が多いほうがパーソナルな生き方ができる気もする。会社の出張のとき、交通費は会社の負担、その行き先にある店での好きな買い物はもちろん自費になるが、この場合、「遠方の地での自分の好きな買い物」にかかる交通費はタダということになり、すごい。逆に、「来年は新しいことに挑戦しないぞ」と思っている人、いる?。