側面睡眠症候群

きのう7インチシングルを買ったA.C. Marias、めちゃめちゃ難解な音楽だった。『Drop / So』というシングル。アンビエントロックみたいな、そういう先端性は感じ取ったけども。「サルベージ」という言葉はかっこいいので使いたい。小学生が下品な言葉を面白がるような感じで、芸術を鑑賞することがあっても良いよなと思う。『英辞郎』の"whisk"という単語のページ、2ちゃんねるの荒らし書き込みみたいな状態になっている。『トレインスポッティング2』が無いという事実、はじめて知ったときにめちゃめちゃ驚いた。サウンドトラックはあるじゃんね。老人はめちゃめちゃ「朝」を経験しているということになるので、すごい。老人の数だけ、朝がある。足元に「足元に注意してください」という張り紙がしてあった。「腹筋」という漢字が書けなくて、「ふっきん」と書いたことがある。学校の休み時間に、校舎から出てすこし外の風に当たる時間、他学年の生徒や知らない関係者などが「暑いねー」などと言っているのを聞いて散歩をしているような気分になる時間、好きだった。視界が晴れる。わたしにとっての部活という部活の経験は、中学生のころに美術部に所属していたことくらいだが、年下の人に「先輩」と呼ばれた瞬間に見えた新しい何かは確実にあった。わたしが、そんなの、いいんですか?。社会を生きる者としてある程度の矜持を持って公共の場にいる間は、歯を見せる機会があまり無いので、日傘の下で歯を出したりしている。災害や事件みたいな出来事について、しっかりと考える人間として生きてゆきたい。きょうは嬉しいことがあったり、散財したりして、駅のホームで清々しい気分だったのだが、電車に乗り込んだ瞬間にその爽やかな心象は消え、休み時間のクラスに漂っていたような、それぞれが動向を監視し合っているような、重苦しい空気に飲まれた。ほんとうは心優しいが巨体がゆえに恐れられている、という設定の巨人がその手の平にふつうの人間を載せるシーンで、その人間をとつぜん握りつぶす漫画があったら読んでみたい。4コマ漫画なら定石な感じのオチだが、長めの作品でこういうことをしていたら凄い。巨体⇔優しさ、という突っ張り棒的な構造、すなわち意外性を持たせることによる描写の細密化が既に為されている上で、そのディテールの全容を全て覆す、ということは、かなりやりづらいと思う。そのあとは、ただの吹き曝しだ。CDやLP等を持っているのにも関わらず「この作品をサブスク解禁して」と訴えている人って案外たくさんいる。音源としての価値の軽視に繋がるのか否か、だけではない、音楽サブスクへの眼差しを得る。柴田聡子『柴田聡子』に山本精一イズムを感じたことがなかったのだが、きょう久々に聴いてみたら、"悪魔のパーティー"にイズムを感じた。「なにわろてんねん」っておかしい気がする。「なぜわろてんねん」な気もする。何度も書くが、BELLRING少女ハートの音楽にはまっている。「吹き曝し」のことを普段は「ふきっつぁらし」と言うのだが、みんなは、どう?。