結局的

「検索ワードのチョイスが上手い」みたいな能力はインターネットの上手さみたいなトピックの中で取り沙汰されがちだが、Twitter内での検索の上手さみたいな話題はあまりない気がする。ただのブラウザ上であれば簡潔かつ明瞭な検索ワードが好ましいが、Twitter上では「みんながよく使う言葉」に焦点を当て、コロケーションなどについて考慮する能力も必要になるときがある。新しい省略能力が求められる。M-1の感想ツイートのひとつひとつに「M-1」という文言が含まれているわけではない、みたいなことを見越す能力。「Twitterでよく見る言葉は、すなわちみんながよく使う(汎用性の高い/くどくない/説明的すぎない etc.)言葉」という前提がある、という構造を噛み砕けるか、という試練が、人々の「つぶやき」を可視化するツールの登場によって身近なものになっている。この世には、「無償だからこそ価値があるもの」が見えない、というこの世の摂理から生まれる不和があり、そういう不和があふれかえっている。さくらももこ、会ってみたいなあ。1月1日に大きな地震が起きようと、それにいっさい反応せずいつも通りツイートしている人っていて、機械みたいだなと思う。親戚の家に行ったら、先が猫によって食いちぎられたらしい、破れたビニールに入った割り箸が提供された。その親戚は商店を営んでいて、わたしが幼い頃はよく売り物を売り場からそのまま持ってきてくれてくれた。あれは、今思うと、資本主義の否定だった。麻薬が合法化されたら、経済ってめちゃめちゃ動くようになるのかもしれないし、アルコールを規制したら、経済がだいぶ停滞するようになるかもしれないし、依存性の強い嗜好品をどう売るか、売らないか、みたいな話に慎重になる気持ちはわかる。箱根駅伝でゴールテープを持つ役って、何かしらのコネが無いとできないのだろうか。バイト募集してないのかな。向かいでテープを持つ人と、一日の終わりに、お疲れ様、と言い合いたい。たくあんの感想が「うまい」だったことは、あまりない。父親に朝早く起こされて、なんだなんだ、と思っていたら、COWCOWの「あたりまえ体操」の動画を観させられたことがある。きょうは、「轍」の意味をネットで調べた。神社で『へのかっぱみくじ』というおみくじを引いたら、付属のキーホルダーに、本来は付いているはずの河童の小さなフィギュアが付いていなかった。ネットで検索すると、そのキーホルダーは河童のフィギュアと鈴が付いているものだと分かるが、私が引いたのは鈴だけのキーホルダーだった。知らない領域のめでたさがあると思って、神社の人にそれを報告するなどはしなかった。エラーコインと同じ感じでありがたがる。わたしが人生で最も学生らしかった瞬間って、世界史の小テストが終わったあと、隣の席の人と「喜望峰」の漢字を確認し合った瞬間かもしれない。Big Blackを聴いてDead Kennedysを聴いてBad Brainsを聴いて、少しずつUSハードコアを辿っている。