かどを持つ

歯医者での長い時間に及ぶ治療は、人生はじめての精神の鍛錬だと思う。わたしは虫歯部分の神経をこそぎ取る治療を小学生のころにしてもらったことがあるが、本当に地獄で、一時的かつ苛烈な痛みなどとは程遠い、間延びした重苦しい痛みを放課後に、しかも数回の治療に渡って感じる儀式的な行いに過ぎなかった。諦観することを覚えた。駅でわたしの前をおぼつかなく歩いていた老人のパスモには、¥18,000が入っていた。ホームでは、割り込む老人もいた。ストライプの柄の服を着ていた。国道を猛々しく走るトラックの風圧に日傘を壊された。自然現象なら抗えないが、確実にわたしの折りたたみ日傘の結合部分の構造を破壊したのはあの大型トラックが生み出した風圧であり、それが人為的なものであったことに怒りを覚える。あっけない最後だった。個人経営のレコード店の静けさは怖い。レジ前の7インチを見たいが店員と向かい合うことになるから見れない、とか、何もめぼしいものがなく退店するときに「ざいまーす」みたいな、べつに何があろうと私がレコード屋の店長にお礼を言う義理などないのに、何も買わなかった申し訳なさで言葉になっていない挨拶をしてしまう、とか、そういう闘いがある。逆に、狭い店内で他に1組の客がいたりしても闘うことになる。縄張り争い、一方通行の通路の上でうまく立ち回る機転が必要になるから。露悪的な芸術作品って自分の中の露悪を排出するために重要だと、Pussy Galoreを聴きながら思った。べつに聴いていて天上に昇るほど堪らない瞬間があるわけでもないし、むしろ不快な表現にぶち当たるのだが、それが痛快で不思議と気分が晴れる。小学生に対して交通安全を呼びかけるような、赤いベストを着用した挨拶の人みたいな人たちの大群に出会った。あの人数の交通安全の人を一度に視野に収めたことは初めてだった。「5秒前・・4、3、2、1」という具合に、扉が閉まるまでの時間をカウントダウンする車掌がいたら、どうしようね。よく「電車ではみんなスマホばかり見ていて、新聞や本を読む人はめっきり見かけなくなった」などと嘆く人がいるが、そんなことを嘆くな。「抱腹絶倒」という言葉を作った人の性格は絶対に悪いと思う。わたしは麺をすすれない。そのような引力を持ち合わせていない。それと同じようなものとして、幼い頃、シャボン玉を吹くことができなかった。吹くための棒みたいなものにめちゃめちゃ口をつけていたことが原因だった記憶がある。めちゃめちゃケミカルな味を感じていた。まったく閲覧していないのにも関わらず、とつぜんTwitterでキム・カーダシアンのツイートを勧められた。

Adorableのボーカリストの兄弟がボーカルをやっていたらしいバンド、The Bardotsの2作品がサブスク解禁されていた。上記の『V-Neck』を聴いている。シューゲイザーという触れ込みで紹介されていることもあるが、このアルバムはそうでもなく、かなりぼやっとした印象だけがある。