これから私が失踪したら、いますれ違った人が目撃者として証言をすることになるかもしれない、と思いながら知らない道を歩いていた。知らないところへ行くことを良いと思う感性がゆっくりと醸成されてゆく。自宅からのアクセスが悪いブックオフほど品揃えが良かったりする。The American Analog Set『Know by Heart』がかなり良くて、かなりYo La Tengoでびっくりした。Spotifyの再生画面でジャケット写真の角が丸く表示されるようになっている。ついこないだハートマークがプラスマークに変わり、Twitterで見てみると大体の人がそれにキレている。ハートマーク=お気に入り曲という特別感が失われたことは事実だが、お気に入りプレイリストと他のプレイリストの扱いが同列になったことでプレイリストばかり作っている人たちは使い易くなったのではないかと思う。でもジャケ写の角が丸いのはなんかいただけない。赤ちゃんのいる家庭のテーブルのようで、鋭角さを出してほしい。もっと、もっと、鋭角に。今日は知らないイトーヨーカドーに行ったが、イトーヨーカドーってどの店舗にもイトーヨーカドー特有のにおいがある気がする。特に再現などはできず、また形容もしがたいが、そのムードは保たれている。音楽を大人数で聴くとき、大体はコンサートなど、ひとつの盛り上がりや体験、視覚情報などの側面が大きい。なのであまり考えることはないが、音楽って誰にとっても同じように聞こえているので恐ろしいと思う。聴力がどうとか、モスキート音はちょっと…とかの話ではない。モスキート音で思い出したが、まえ「モスキートーン」というふうに書いている人がいてすげえかっこいい勘違いをする人だなーと思って調べてみたら、「モスキートーン」も間違った言葉ではないらしい。"mosquitone"らしい。「道路」「ロード」のようなカタルシスを再び得られることになろうとは。閑話休題。音楽って誰にとっても同じように聞こえているので恐ろしい。へんな話だが、Michael Jacksonも聴いていただろうThe Beatlesを、同じ姿かたちのまま私たちも聴くことができる。ある時点で録音された音がずっと後世に残って、しかもそれが聴かれ続けることがあるというのは非常に異様な気がする。ミュージシャンやプロデューサーの意図とともに、とくに音の定位などのミキシングはかなり直感的に感じることができる。今こうしている間にも、歴史的音楽作品が世界どこかの何者かによって作り出されているかもしれない。私が何もしなくても良い音楽は良い音楽として生み出されてしまう。人のすごさ。

 

【本日の1枚】Yo La Tengo『Electr-o-pura』(1995)

とても良いと思います。オルタナ期のYo La Tengo。前作『Painful』が静かでメロウすぎることが不思議に思えてくるくらい、アートワークも含めてジャンキーな、ふぞろいな趣向のある作品。絶妙に"(Straight Down to the) Bitter End"が好きだ。アンビエントタッチなアプローチがほぼ無くて、正直聴きやすい。統一感の『Painful』、インディ/オルタナという分類が似合う『Electr-o-pura』、好き放題やったのに大体の曲が成功してしまった『I Can Hear the Heart…』みたいな認識。それ以前・以後の作品はただ単にあまり聴いていないこともあるが、この3作の並びが異質なことは何となく分かってしまう。何となく、異質な気がする。