ねむたい事

私にはいとこがいるんだよな。怖すぎる。ずっとそのことを忘却していて、たまに思い出すたびにぞっとする。いとことの交流って、あるの?写真は見たことがあるが、殆ど会ったことがない。わたしの別バージョンみたいな人がもう一人いる。どういう趣味をしているのだろうか。どういう生活をしているのだろうか。いとこである私のことが脳に浮かぶ瞬間は日常にあるのだろうか。わたしは誰かの「いとこ」なのだな。でも、叔父とはある程度の頻度で会っているし、会話もフランクに交わす。よく考えると意味がわからない。ふつうに生活を送る中で、やれきょうは時間を上手く使えただの、やれ課題が終わらないだの言いながら暮らしの試行錯誤をしているが、わたしにはいとこがいる。血縁みたいなことを日々の生活の中で忘却しているのは良くないのかもしれない。あまりにも根源的かつ、私と同じ遺伝子を共有している人物がこの世に存在していることはふつうに面白いから。私もそうだが、親戚みたいな概念に対しての認識が、「自分と血縁がある数少ない人たち」のわりに弱い。何かしら会う機会があれば良いな。テスト前の、やらなければいけない事をやらなければいけないが怠惰で着手できず、その事があるためやりたい事すら疎かになるあの感じがずっと持続している。数十年ずっと脳に浮かんだことのなかった言葉。エジソン箸。私はこうして毎日ブログを書いていて、50日ほど続いているようだが、ますます「動画毎日投稿」がいかに狂っているかということが分かる。動画って、音と映像がある。電車の中でも作業を進めることのできるテキストとは全く異なっている。わたしに動画は作れないと思う。多すぎるから。Twitterで、画像付きツイートに対して「無断転載はやめた方が良いですよ」みたいな返信が付いているのを見た。確かにネットから拾ってきた画像なのだろうな、という画像ではあったが、なんだかモヤモヤしてしまった。いまだ明文化されていない部分かもしれない。どうしよう。著作権って、案外緩いよな〜という話になる。「無断転載はやめた方が良いですよ」は正しさなのだけど。YouTubeでは動画を再生する前に広告が流れるが、その数が一つなのか二つなのか、一つ目の広告が終わるまでに何となく分かってしまう。なんか、広告の長さがそうなのかもしれない。すぐにスキップボタンが表示された時って、広告は一つだけで済みませんか?反対に一つ目の広告がスキップまでに10秒くらい待たせるものだったら二つ目もある気がする。我々はせいぜいYouTubeの傘下にある。「You Tube」という表記、気になるよな。やけにパーソナライズの強い、例えば「○○したい25歳の女性を探してます」みたいな広告で、自分がそれに該当しないと勝った気分になる。わたしはネットの閲覧データだけでそれが特定できるほど、やわな人間ではないぞ。