家にある入浴剤のパッケージを見ていたら、「2つの香料が混ざることによるシナジー」を掲げている、すなわち2錠を同時にバスタブに入れることを推奨している入浴剤で、頭がおかしいのかと思った。それを言われて同時に2種類を放り込むような奴は、愚直すぎるかリッチすぎるか、どちらかになる。母にお菓子を提供したことがある。夜中までリビングルームでドラマを観ている母のことを見て、「こないだポテチひとりで食べたから、一袋食べて」と言い放ったら、母はとても嬉しそうにして、叫びながらお菓子の入った引き出しを開けていた。それが妙に嬉しかった。個人でお菓子を好きにしてよい、という自由の風がその場に吹き、わたしは、与えられてばかりのわたしが母に与えた、という満足感で満たされた。わたしはわたしの世界を見ることしかできないからつまらないが、ほかの人もそれぞれの世界に徹しているから、わたしもそれで満足しなければいけない。子供の頃、愛着のあった茶碗を割って泣いたことがある。犬かなんかの模様が付いていて、かわいい茶碗だった。育児の動画を観ていると、生命を繋ぐことがどれだけ難しいかを感じて嫌になる。育児をしなければ気楽だが何も起こらなくて、反対に育児を乗り越えるとなんか家族が増えて、その人が大人になって、じぶんが老いてもその人の活躍ぶりを眺めたりできる、みたいな、苦労には一定のリターンがある、みたいな構造も、時にはそういう構造が不慮の事故などでぶち壊されることも、そういう構造の中にじぶんが入るのに必要な、育児というものにおいて、人間が人間を薫陶することの難易度の高さも、すべてがキツくて、こっちにのしかかってくる。知能を持つとはこういうことなのかもしれない。個人として共鳴したことはないが(というより深く考えたことがないが)、こういうことを考えていると、反出生主義者の類がこの世界に存在していることに納得がいく感じがある。スペイン語の"tiempo"という言葉は「時間」という意味と「天気」という意味を持つのだが、コアには「つねに移り変わるもの」みたいな語義があるのかもしれない、と気づき、なんか綺麗だった。神聖かまってちゃん "たんぽぽ"は名曲だ。ストリングスみたいな、ロックに放り込むには異物感のある音をしっかりと落とし込んでしまうバンド。