新ユーロ

「too 形容詞 to 動詞」という語法を、「(動詞)するのは(形容詞)すぎてできない」という訳とともにいきなり学ばせるのはおかしい気がする。わたしにはこのパズルを組み立てるのが難しすぎる、という直訳から「不可能」のニュアンスは出ているし、too〜toを用いる思考に共感してこそ、この語法に「できない」ニュアンスを感じ取れると思うのだが。歯磨きをするときにコップを使う人って意味がわからなすぎる。歯磨きにおける水の出番って、磨く前に歯ブラシを濡らす(①)、磨いた後に歯ブラシを洗い流す(②)だけであり、コップを使うから水の節約になるとかでもない気がする。小学校ではコップを使わされていた記憶があるが、それは狭い水道に小学生がたくさん群がるのを抑止するためであって、意味がある。モヤモヤさまぁ〜ず2を観ていたら、とつぜん「狩野派」というワードが出てきて何のことかと思った。江戸の画家みたいなアカデミックなトピックをしているのかと思ったが、たぶん、以前のアシスタントに「狩野」さんがいたという文脈ありきの話題だった。テツはテツっぽい見た目をしているし、トモはトモっぽい見た目をしている。テツandトモを知らない人に「どちらがテツでどちらがトモっぽいか」という質問を投げかけても、大体の人はニブイチの正しいほうをくぐり抜けると思う。これが、ブーバ・キキ効果らしい。まったく漢字とかでなく、「さいとう」という苗字があったら怖い。ツイートは、ウケても有象無象が湧いてくるし、かといってウケなかったらすべった感じになるので、つらいんだと思う。他人のツイートがどうなろうがどうでもよいが、わたしのツイートがウケたりウケなかったりしたらいやなので、Twitterで色々とつぶやくことをわたしはやめてしまった。