美茶

就寝前、こんなひんやりとした空気はもう夏が終わるまで味わえないかもしれない、と思い、布団をたくさん着る、という寒い気候ならではのアクティビティをした。これは当たり前なのかもしれないが、インターネットって人の顔を見なくてもコミュニケーションが取れるからずっと見てしまうのかもしれない。他人が面白いことを言っていたとして、それが対面の会話の中で行われたとしたら、「この人はこんな容姿をしているのにこんなことを言っていて変だ」や「こういう容姿をしている人がいかにも言いそうなことを言っている類型的な人に過ぎない」 などとその人の容姿にかこつけて馬鹿にするようなことが起こりうるが、その他人のパーソナリティを一次的にはプロフィール画像やユーザー名などでしか把握できないインターネットでは、言葉に付帯する雑味がだいぶ取れて、プレーンに面白がれることが多いと思う。もちろん、その容姿を知っているからこそ発言内容にバフがかかったり、逆に匿名で言うほうが明らかにつまらなかったりリスキーであったりする言葉というのもあるのだろうけれど。対面であるということの情報量の多さから逃げることができるツールである、というのは間違いない。十五時くらいに家を出たら、ちょうど下校している地元の小学生とすれ違い、物悲しい。道中、Yシャツ姿で道端の草花を眺めている人もいた。Alvvays "Pomeranian Spinster"が素晴らしい。こんな音楽を作れる人たちはそういない。ポップスをぐしゃっと潰してノイズを振りかけたような、目まぐるしい曲。小さいころ、ただ戸締りのつもりで窓を閉めたら、その時に外にいた父親に「故意に閉め出した」と勘違いされ、それで怒られたことを覚えている。理不尽だ。電車に乗っていたら、わたしの前に立っていた、子供を抱っこしている人が不織布のマスクを床に落としたのだが、知らない人のマスクを触るのが嫌だったことと、あといちど床に落ちてしまったマスクはゴミ同然であるということもあり、「落としましたよ」と声をかけることなどができなかった。たばこの箱が前を歩いている人のポケットから落ちたときなんかも、同じようなことを思う。わざわざゴミを拾い上げて「はいどうぞ」だなんて失礼というか、意味がない気がする。でもたばこの箱の場合は難しくて、中に数本のたばこが残っていたり、もしかしたら別の貴重品が入っている可能性もあるため、でもその落とした人がめちゃめちゃおっかない人の可能性もあるので、もう難しい。事あるごとにアイドルに「飲酒はしていますか」「好きな酒はなんですか」などと聞く人がいる。