散らす

いつも利用する駐輪場の、自転車を囲う鉄の棒には「毎月○日に定期更新」みたいなことが書かれているプラカードが吊り下げてあるのだが、毎回そのカードに自転車が被らないように駐輪している。べつに誰も気にしないのだが、私は気になる。「文字を覆う」という行為は概念的であれ物理的であれ何か重大なことを引き起こしそうだから。歩きって反復すぎる。半ば無意識的にわたしたちは歩いているが、あんなに反復が要求される場面って他にはなかなか無い。物事の反復には飽き飽きするが、歩きには飽き飽きしない。歩きは移動が伴うぶん必然性が増すからだろうか。反復運動だから無意識的にできる→脳の容量が空く+移動とともに周りの景色も変化する→脳の空いた部分に刺激が行き渡る、と考えると、ただの移動を目的としない歩きのことを「散歩」と呼ぶことがしっくり来るようになる。我々は散歩を通して、何かを「散らし」ている。駅の構内に設置されていた七夕の笹の下で、学生が腰を折って何かを書いていた。彼女はあのあと、自分で書いた短冊の写真を撮っただろうか。公共の場で人が急にかがむと、少し驚く。ただの屈みなのに、驚く。

 

【本日の1枚】CHAI『PINK』(2017)

名盤だと思う。"ウォーキング・スター"でロックを感じる。"ぎゃらんぶー"ってヒップホップっぽい。ナンバーガールっぽい。35分、ここまで簡潔かつ多彩なアルバムってなかなか無いな。