「朝の茶事」という謎の飲料

今日は行ったところのない場所にたくさん行った。知らない土地を歩いていたり、電車から眺めていたりするとき、そこの土地を毎日のように通る人もいるんだなといつも思う。私が毎日のように通行している、私の知っている土地があるのと同じように。「朝の茶事」を飲んだ。知らない駅で降りて空っぽなショッピングセンターに寄り、perfect young lady『PYL 3rd SEASON…』を聴きながらテナントのブックオフスーパーバザーでCDを1枚買う。中野ブロードウェイ4階を思い出す。"allocate"という単語について正式な語源は調べたことがないが、alter + locateで覚える。時間の中で「今」って一瞬に過ぎないから英語では"now"よりも"right now"の方が今この瞬間刹那的な現在を言い表せると思うのだけど、日本語にするならば"now"と"right now"のどちらも、同じ「今」という訳で不思議とちょうど良い感じがする。「ちょうど今シリアルが食べたい気分なんだ」みたいなことは言わない。「今シリアルが食べたい気分なんだ」とすると、くどさが消えるし取りこぼされたニュアンスもほとんど無い。「今さっき帰ってきたところです」ならあり得る。インフォーマルな日本語は強調の副詞を軽視している感じがないか。「とても綺麗」はおろか「すごく綺麗」すらもかしこまった感じがある気がしてくる。「めっちゃ綺麗」が覇権を握りすぎている。英語でも"fucking"みたいな破れた強調の副詞はあるが"fucking now"とは言えまい。日本語で示される人々の感情が「めっちゃ」に収斂していく。街にある殆どは人が作ってきたものなのですごい。芸術に携わる人たちは自分たちの意思で表現をしていて、すごい。

 

【本日の1枚】Adorable『Fake』(1994)

"Vendetta"に唸る。「ウー」みたいにボーカルが唸ることはないけどシューゲイザーを感じさせるバンドとしてsyrup16gとAdorableを連続で聴いた。"Radio Days"もお気に入り。こんなに良いものを作っていたのに、どこまでも不遇のバンドなのだな。RideともSwervedriverともThe Smashing Pumpkinsとも違うユニークな立ち位置。