QUBITというバンドの"Good Bye Kamisama"という曲はサビの箇所だけシューゲイザーみたいで面白い。その他の箇所も音が変で良かった。一時間くらいかけてじっくりと起床。自転車を漕いでいたら工事の人たちに出くわして、その人たちが優しくあしらってくれた。工事の車や看板が並ぶすぐ隣にでかいごみ収集車が停まっていて、どうやってあそこに車体をねじこんだのか分からない。駅にも段差の上り下り運動を繰り返すタクシーの運転手や線路を整備する人たちがいて、朝から「はたらく人」図鑑みたいだった。列車とホームとの間にできる隙間を怖がる子供は臆病なんじゃなくて感度が高い。大人があの闇の怖さを忘れているだけ。『翠ジンソーダ』のホームページ [ https://www.suntory.co.jp/wnb/suigin/ ]は、末尾の部分は'suizin'で良かったと思う。『あいの里』とか絶対に観てやらないぞ、と思っている。「片手落ち」という言葉はかっこいいから使いたい。昼に食べるつもりだった二個のおにぎりのうち一つを夕方分にまわした。電車の乗務員の人が、流麗な英語で緊急のアナウンスをしていた。電車で、一心不乱にスマートフォンの画面をぐいっとスワイプしたりしている人がいた。多分、ツムツムをしていた。いつもより空いているのが気になる。ほんの数分のためだけになぜ空いている電車ではなくすし詰めの電車を選ぶのだ、などと気づくときは突然くる。わたしは電車で座るということに特段の価値を感じていないので、空席の前に立ってしまうことがあるが、座ることを重視する人からしたらただの妨害者だろうと思う。このあいだ聴いたRita Leeというアーティストの作品が良かったので、その人が在籍していたというバンド・Os Mutantesの作品も聴いてみたら、こっちは微妙だった。今日は目がしばしばするながら、なんだかんだやり切れる日だった。この感じだと明日は一日中だるくて捗らない日だ。調子の良い悪いは、自分の場合はたいがい毎日、交互にくる。何かが地面に落ちていたので見たらただのポケットティッシュの袋だったが、自分の頭の中では落とし物のICカードを駅員に届ける妄想が既に始まっていた。雨っ気の全くない日の帰路に雨に降られたりとか、目的地に到着する直前で雨が降ってきたりとかいうことが起こると、いよいよこの世界というのはわたし中心の物語なんじゃないかと思えてくる。「雨男」「雨女」みたいな考えって、自分が世界の中心であるというのを措定しておかないと出てこないものだろう。デ・ラ・ソウルの"Eye Know"を聴いていたらスティーリー・ダンが聴きたくなり、『Gaucho』をかけた。スティーヴ・アルビニが嫌っている人たち。A面の3曲が強い。1980年前後に生産された日本盤のレコードには光に透かすと半透明の茶色っぽくなるものがある、といった知識を披露する機会を伺っている。