映画を観て静かに、顔を覆って泣いた。この涙と鼻水はわたしがいま映画を観ていなかったらどうなっていたんだろうと思う。大きいものばかり見ていないで小さいものも見なければ、と思う映画だった。ごみ収集の車の側を通ったら獣っぽいにおいを感じて、いまごろ運転席はどうなっているんだろうと思う。老人は遅く移動していて、ラーメン屋の側は良いにおい、ヤマト運輸の人は自転車を走らせるわたしを配慮してくれる。
さくら学院 "My Graduation Toss"はけっきょく素晴らしい曲だ、と思わざるを得ない動画。自分でも信じられないのだが、自転車をこいだ後に身体が熱くなって、上着を脱いで半袖になった。平日の昼間って本当の時間だと思う。街の人たちがそれぞれにコミットしている感じがする。散らばって、好きにやっている。給食のソフト麺は、投入先の汁物が溢れないように、直方体をした箸入れの定規みたいにのっぺりとしたふたを使って真っ二つにしてから汁に入れていたが、今でも同じことをすると思う。折り畳み自転車は折り畳むように出来ているから、普通の自転車とはけっきょく勝手が違う、みたいなことを大声で話している人たちがいた。公共の場所のベンチから立ち上がって足元に置いていたリュックを背負おうとしたら、リュックの底が全面的に濡れていることに気づいて、おそらく水が溜まっているところにリュックを置いてしまっていたんだなあ、と思う。まったく気が付かなかった。そのあとそのリュックは計三時間くらいのあいだ、もこもことした床の上に置いておいたのだが、それで完全に乾いた。遠い昔のちょっとした習慣などを思い返して、こんな時もあったなあなどと思うのはとても楽しいから、日記というのは長く続ければ続けるほど日常についての記載が些細になる傾向があると思う。かなりでかい建物があったので、その足元から見上げてみて、自分が恐怖の感覚を覚えるか試してみたのだが、あまり怖くなかった。街中の無駄にでかいモニター乗っ取ってマリオカートをしたい。「市井」が「しせい」になった理由を勝手に考察して、満足した。今日みたいな日は「けっこう暑い」と「けっこう寒い」どちらもあるから、「少し暑い」から「けっこう寒い」あるいは「けっこう暑い」から「少し寒い」までをカバーする服装は持っているのに、これだと微妙にカバーできないところがあって不服。「思い出」という概念がこの世界から消えたら、修学旅行に参加する人とか、減ると思う。今は、辛いネギ味噌ラーメンを食べて、白髪ネギの先の鋭利な部分が喉に当たるのを感じたい気分だ。麻婆豆腐と米をいっしょにかき込んでいるとき、豆腐で米を食べている自分にふと気づき、なにか潜在的な能力が一時的に引き出されているような、ファンタジックな気持ちになる。wink music service
— ke (@OkeyIMe) November 2, 2024
白鳥沙南さんとさくら学院My Graduation Tossカバー pic.twitter.com/nn4AG3A5Wr